「報復」 第2章  Requital Chapter 2 プロローグ 第1章(1).(2).(3)

6月第3週

その週が終わるまで、スティーブは、ピックアップに乗り込み、どこかに出かけようとするたび、そろそろパトカーが彼を連行しに来る頃だろうと、半ば覚悟しながら過ごした。だが、あれから2日経っても、真夜中に玄関をノックする音がすることも、建築現場に制服を着た警官が彼を逮捕しに来たりすることもなかった。彼は次第に心が落ち着いてきた。あの日、バーバラと一緒にいた男に、通報しても構わないと苦々しく約束したものの、不安であるには変わりはなかった。地方検事がスティーブに罪を宣告した場合、彼には、法的に弁解の余地がまったくないのを知っていたからである。

逮捕を待つ間、スティーブは兄のジョンが推薦してくれた女性弁護士のところに通っていた。ジョンに言わせると、彼女は法廷ではブルテリア犬(参考)のように攻撃的らしい。ついこの前も、ジョンのある友人を担当し、彼の妻が不貞を行ったという証拠がほのめかし程度しかなかったにもかかわらず、3人の子供の養育権をもぎ取ったという。スティーブは、当事者双方に責任を課さない、単純な離婚以外、何も求めていなかったが、それより先に進み、自分のために極度に攻撃的になってくれそうな弁護士を立てるのも良いかもしれないと思った。そうすることが「心境にピッタリするなら」(参考)、の話だが。

家の鍵は、金曜日までにすべて交換した。バーバラの衣類の大半は、30箱程度の衣装箱に詰め込み、彼女の個人的な持ち物も小さな箱に詰めた。スティーブは、その作業にだらだら時間を掛けなかった。衣装棚や引き出しから、クローゼットの横棒に吊るされているものまで、ありとあらゆる衣類を一掃し、手当たり次第に、近くに置いてある箱に放りこんだ。

衣類を詰めた箱はすべてテープで止め、ガレージにもって行き、積み上げた。間もなく、彼の元妻の身分になる女が、ここに来て、その箱を持っていくだろう。一応、片付けたものの、その後も、箱に入れ忘れた物が幾たびも出てきた。スティーブは箱を1つだけ開けたままにしておくことに決めた。新しい小物を見つけ次第、その箱に放り投げられるように。

土曜日になったが、まだ彼は逮捕されておらず、自由の身だった。スティーブは、バーバラといちゃついていたあの馬鹿男は、結局、警察に通報しなかったのだと判断した。

この3日間、毎日、バーバラから数回にわたり電話が来ていた。だがスティーブは、電話には出なかった。電話に表示される発信者の番号が彼女の携帯電話の番号だったり、彼女の親族の電話番号だった場合、いずれも無視した。電話に出ないことでバーバラが怒っているに違いないのは知っていた。だが彼は気にしなかった。

また電話が鳴った。義理の父親の持っている携帯電話からと表示されている。スティーブは、衝動的に、そろそろ沈黙を破る時期が来たと判断した。

「もしもし・・・義父さんですか?」

スティーブは静かな声で受話器に話しかけた。向こうでは、少しの間、沈黙があった。

「ああ・・・スティーブ!」

バーバラの父親は、スティーブが電話に出るとは、正直、予想していなかったようだった。

「・・・何か御用でしょうか?」

「ああ・・・スティーブ・・・えっと、今回のことについては私もただただ済まないと思っている・・・つまり、君とバーバラの間の問題についてだが・・・。私は・・・いや・・・私たちは、一度、君に家へ来てもらって、話しあえたらと思っているんだ。私たちが、君の状態を思っているというのは分かってくれてると思うが、誤解したまま、もっと事情が悪くなるのだけは避けたいと思っているんだよ」

スティーブは、しばらくの間、何も言わなかった。このコードレスの受話器をテーブルに置いて、そのまま、立ち去ってしまおうかとも考えた。この電話は、受話器を下に向けておくと、自動的に通話を切るようにできている。そうしてしまいたい気持ちになった。

「・・・スティーブ?」

スティーブはさらに少し沈黙を続けた。

「・・・ああ・・・ええ、義父さん、僕も率直になることにしましょう。僕がバーバラとデートしていた時期に・・・そして、僕たちが結婚した後も・・・義母さんが僕について言っていたこと、それを僕は耳にしたわけですが、あの時の義母さんの言葉を思い出すと、その、あなたがたが『僕の状態のことを思っている』という言葉がどこから出てきたのか、正直、分からないのですよ。でも、その点はさしあたり、気にしないことにしましょう。・・・でも、バーバラと僕は、『誤解』などしてませんよ、義父さん。僕は彼女が他の男と浮気をしている現場を押さえた、そして、僕は、それを見過ごすつもりはないと、それだけの話です」

スティーブはそれ以上、言わなかった。義理の父の方が、会話を進めたかったら、話せばよい、と相手の出かたを待っていた。

「分かった・・・それで・・・スティーブ・・・いずれにせよ、こちらに来て私たちと話すことはできないかな? 誰も断定的に話したりしないと私が約束しよう。私たちは、これが解決することだけ、それだけを求めているんだ。どうだろう?」

ロイドの声には、嘆願する調子があった。スティーブは、年配の父親はかなりのストレスを感じているのだろうと推測した。

「お断りします」

スティーブはきっぱりと返事した。そして間をおく。

「・・・ですが、もし、話し合いをなさりたいなら、あなたがたがこちらに来てください。今から1時間ぐらいなら、僕はここにいますから」

「私は・・・」

電話の向こう、つぶやき合う声が聞こえた。長い沈黙の後、返事が来た。

「オーケー、スティーブ・・・そうしよう。すぐにそちらに行く」

「分かりました・・・あっ、・・・それと、バンに乗ってきて下さい。こちらにはバーバラの持ち物がたくさんあるんです。それを持っていってもらいたい」

「いや、でも・・・いや分かった・・・バンで行くよ」 

ロイドはすぐに返事した。電話で、改めて議論を繰り返すのはしたくなかったからだ。

「・・・数分で、そっちに着くと思う」

********

スティーブは、妻と義理の親族たちが入ってきた時、無表情の顔を続けるよう、注意を払った。バーバラは家の中を見回し、この1週間にスティーブが変えたことすべてを確認した。消えた写真、消えた小物に気づくたびに、彼女の口元が固くなった。スティーブは義理の父と握手をし、義理の母のダイアンに頷いて挨拶した。彼はダイアンには近寄ろうとはしなかった。ダイアンはそのわけを知っていた。

スティーブの瞳には、バーバラに対して歓迎の表情は一切なかった。ただ、彼が会えたら嬉しいと思っていた唯一の人物も一緒に来ていたことは、彼にとって嬉しい驚きだった。バーバラの祖母のリディアである。バーバラはリディアのことをノニーと呼んでいた。

「こんにちは、リディア。あなたもいらっしゃるとは知りませんでした」

スティーブは暖かく声をかけ、作り笑いでない、心からの笑みを老婆に見せた。

スティーブは、リディアとは、馬が合う間柄だった。リディアの娘であるダイアンと、ダイアンの夫であるロイドの2人が、バーバラのデート相手の選択に関して口を出していたときも、その後にバーバラがスティーブと付き合い始めた時も、このリディアだけはいつもスティーブの味方になってくれていたのである。リディアは頬を差し出し、軽くキスをさせ、お返しにスティーブの頬にキスをした。

スティーブは家の外に目を向けた。バーバラの一族にもう1人いるメンバーがいるが、彼女は外にいるのだろうか、と思ったのである。

「キンバリーは来なかったのですか?」

ロイドは頭を振った。

「あの娘はまだオースティンにいて大学入学前の授業を受けている。それに、いずれにしても、私はキンバリーは連れてはこないよ・・・彼女はこの件にかかわる必要がないと思うからね」

スティーブは肩をすくめた。

「僕には、あなたもこの件にかかわる必要があるのか、はっきりしないんですよ、義父さん」 スティーブは、特に悪意は込めずに返事した。

もっともスティーブも義父の意見に賛成ではあった。キンバリーは6月に高校を卒業したばかりである。彼女の成績はあまり良くなかった。そこで、大学での勉学に備えるため、短期のセミナー形式の授業に通っているのである。キンバリーは濃い茶の髪の美人だった。一緒にいると楽しく、度が過ぎるほど社交的な性格である。高校では3年間通してチアリーダー部に属し、好ましい社交グループのすべてに参加していた。だが、この1月に18歳になったばかりであり、ちょっと気まぐれな傾向もあった。ロイドと同じ立場だったら、スティーブも、そんな彼女を、ここでの話し合いに加わらせなかっただろう。

バーバラと彼女の両親はカウチに座った。リディアは2人掛けのソファに座り、心地良さそうに脚を組んだ。スティーブが見ているのを見て、いたずらっぽい笑みを見せる。スティーブは以前、リディアに、67歳の女性では一番美しい脚をしていると言ったことがあり、リディアはその言葉を忘れていなかったのである。彼女は、脚を組みなおし、ふかふかのクッションの上、リラックスした。

スティーブは安楽椅子のレイジー・ボーイ(参考)に座ることにし、椅子の向きをカウチに座る3人と対面するように直した。腰を降ろして相手の出方を待つ。

スティーブはバーバラの様子を見た。バーバラは、スティーブの視線を感じているのか、左右、わずかに体を斜めにして直面しないようにしていた。

スティーブは彼女を見ながら、一体、この女性は何者なのだろうと思っていた。彼女とは、2年間、断続的にデートを続けた後、結婚した。しかし、その2年間も、2人が専属的にデートするかどうかで口論になった後、ほぼ半年ほど、半ば無為に過ごして、分断されている。結婚してから4年になっていたから、通算して6年間、この女性のことを知ってきたことになる。いや、正確にはそうは言えない。自分はこの女性のことを本当に知っているのか? そもそも、彼女がなぜ夫婦関係に背く行為をしたのか、その手がかりすら知らないではないか。結局、自分はこの女性をまったく知らないのだとスティーブは判断した。

今度は、彼女のことを、たったいま出会ったばかりの見ず知らずの女性として見ようとしながら、詳しく見てみることにした。確かに魅力的な女性だ。これまでも魅力的だったが、特に、この2年ほどのうちに、背が高く、すらりと優美な体つきに変わってきたように思われる。長い脚・・・細く張りのある太もも。ふくらはぎもほっそりとしているが、決して痩せぎすではない。

こげ茶色の髪と緑色の瞳。時に、彼女の髪は、光線の具合で、薄い色に混じって、赤くきらりと輝くのをスティーブは知っていた。バーバラの父方はアイルランド系だ。その赤毛の遺伝子が、家系を通じて、たまに姿を現すことは当然といえば当然だ。その髪の色は、バーバラに良く似合っているとスティーブは思った。

鼻と頬骨に掛けて、かわいらしいそばかすが見られる。彼女の容姿は目を惹くものではあるが、ハッと息を飲む美しさとも違う。彼女の美しさは、どこか1つの部分によるものではなかった。全体としての美しさなのである・・・長い脚、美しい笑顔、きらきら輝く瞳・・・そのすべてをスティーブは愛している。いや、違う。スティーブは自分で訂正した。愛しているのではなく、愛したという過去形だ。その愛情を、彼女は長い時間を掛けて、少しずつ殺してきたのだ。一体、今、どれだけ殺されずに残っているのか、彼には分からなかった。

スティーブはわざとバーバラから視線を背け、義父に向けた。眉毛を吊り上げて見せ、話しを始めるように促した。このちょっとした話し合いを進めるには、こうするのがベスト・・・手っ取り早く済ませてしまいたかった。つまらない雑用のように、さっさと片付け、後は忘れよう。

ロイドは気後れしつつも話し始めた。

「私は・・・スティーブ・・・バーバラから、ポーター氏と公園にいるところを君が見たことについては話を聞いている。私たちは、バーバラがあそこで彼としていたことを、君は誤解したのじゃないかと思っているんだよ」

スティーブはバーバラを見た。彼女は、カウチの背にもたれ掛からず、背筋を伸ばして座っていた。スティーブはバーバラに問いかけた。

「オーケー。君は、あそこでラファエル・ポーター氏と何をしていたのかな?・・・いや、もっと正確に言おう・・・君はご両親に、何をしていたと話したんだ?」

「起きたことを正確に話しました」

バーバラはきっぱりと答えた。かろうじて心の中の怒りを押しとどめているように見えた。

スティーブは、無言のまま、笑みを浮かべた。目は笑ってはいない。バーバラに話を続けるよう、身振りで促す。

バーバラは深呼吸した。

「誤解させてしまったのはごめんなさい、あなた。とっても単純なことなの。あんな過剰反応すべきじゃなかったのよ」

スティーブは、手を前に突き出すしぐさをして、バーバラに話を止めさせた。バーバラは困惑した顔で彼を見た。

「僕のことを呼びかけるとき、『あなた』と呼ぶのはやめて欲しい。『ダーリン』とか、その他、一切、やめて欲しい。オーケー? そのように呼ぶ権利を君は失っているし、僕自身、我慢がならない」

バーバラは唇を噛みしめた。怒りの表情が瞳に浮かんだ。明らかに自制しようと努めている姿を見せながら、バーバラは頷いた。

「仰るとおりにするわ・・・スティーブ・・・」 相手をなだめようとする声になっていた。 「話し合いを続けるためなら何でも・・・」 

バーバラは座りなおし、膝の上で両手を組んだ。

「とにかく、あなたが見たのは、まったく他愛のないことだったの。レイフは彼の夫婦生活で問題を抱えていたの。そして私は、その辛い時期に彼の助けになってあげていたということ。2人でどこかに行って、話し合ったりしたわ。女性の立場からの意見を聞くことが、レイフにとっては助けになっているようだったから。それだけのことよ、あな・・スティーブ。レイフはただの良いお友達。それだけ。川のほとりで私たちを見て、カッと来た気持ちも理解できるわ、でも・・・でも、そういうことだったのよ」

バーバラは、陽気に上ずった調子で説明を終え、ためらいがちにスティーブに微笑みかけた。スティーブは何も言わず、しばらく彼女を見つめたままだった。バーバラの話は、彼にとっては、十分に練習を重ねたもののように聞こえた。

ようやくスティーブが口を開いた。

「それで、ポーター氏と知り合いになったいきさつは?」

バーバラは目を細めた。この質問は予想しておらず、即答できる答えは考えていなかった。

「答えを言う前に、ひとこと言っておくと、僕は絶対的な真実しか受け入れない。もし、この結婚を救うチャンスがあると思っているなら、・・・多分、そう思っているから、ここにいるのだろうけど・・・もし、そう思っているなら、この件に関して、一切、嘘をつかないことだ。いいかな? バーバラ」

バーバラは、少し間をおき、頷いた。スティーブは手のひらを上にして手をあげ、バーバラに頷いて見せた。話を続けるようにという身振りである。

「彼の会社は私たちの会社と同じビルに入っているの。ビルの中のカフェテリアで、ある日、知り合って、話すようになったのよ・・・実際、あなたも、予断なしに彼と知り合ったら、きっと気に入ると思うわ。いつもそういう風に不機嫌になるのをやめて」

スティーブは、そこまでのバーバラの発言に関しては、あえてコメントせずに通すことにした。ただし、敵意から、どうしても唇を歪ませてしまう。落ち着くために、一度、深呼吸した。

「つまり、君の職場の1階ロビーのところにある小さなレストランで出会い、それから、彼の夫婦生活について助言を与えてきたということかな?」

バーバラは頷いた。

「・・・で、情事はなかったと?」

バーバラは、まったくないと頭を振った。

「セックスも?」

バーバラはスティーブをにらみつけた。

「もちろん」

「キスもハグもなかった・・・彼が触るべきでないところを触ることもなかったと?」  スティーブは冷静に訊いた。

「決して!」 

バーバラは力を込めて言った。スティーブは何も言わず彼女を見ていた。長い沈黙の時間が流れた。

バーバラの父親が咳払いをして、沈黙を破った。

「だから、スティーブ・・・、バーバラがしていたことを誤解していたかもしれないことが分かったんじゃないのかな? バーバラが、その男を助けるために、あの場所にいたのは良いことだったと言ってるつもりはないんだ・・・いや、君に何も言わずに、そのようなことをするのは、私も良くないと思う・・・だが、君が考えているようなことではなかったんだよ。そういうことじゃないのかな?・・・」

スティーブはバーバラの父親を見た。彼を憐れむ気持にすらなっていた。しかし、意を決したように頭を振った。彼が座るレイジー・ボーイの横にあるマガジンラックに手を伸ばし、分厚いバインダーを取り出した。そのバインダーをぱらぱらと捲り見る。スティーブーは高ぶった調子で語りだした。

「恐らく皆さんはお忘れだと思うが、僕の兄のジョンは、フォックス・テレビ局の報道部長をしている。・・・上流の、一種、目立ったライフスタイルをしている人々については、どの報道局にもファイルが作ってあるものだ。それに一般人でも、その気になれば、かなりの情報が手に入るものだ・・・」

スティーブは顔を上げて、バーバラを見た。カウチの背もたれのクッションに背中を預けてくつろいでいたバーバラも、突然、不安になったのか、背を伸ばし、カウチの端に身を乗り出していた。

「それに・・・僕は私立探偵も雇ったのです。そして、これがその報告書です」 スティーブは、膝の上に持っている3本リングのバインダーを指差した。

バーバラの目が、傍で見ても分かるほど、大きく広がった。彼女の不安のレベルが急激に上昇する。口は開いたが、声は出てこない。

「ラファエル・ポーター氏は、ハーパー保険会社内で、比較的影響力があるマネジャーをしている・・・」

「・・・彼は社内でかなり重視されてきている人物だが、最近、少し停滞気味だ・・・彼が進めた投資が不調に終わったらしい。・・・だが、多少、仕事をがんばれば、恐らくその件は挽回することができるだろう。実際、彼には、次の夏、この地域全体を統率する中枢部の一員に昇格する可能性がある」

スティーブは、数段落先へ目を移した。

「おっと・・・ちょっと面白い話かな。ポーター氏の職場は、実際は、市内のロウリー・ビルにある、とある。・・・マップ・クエストでチェックしたよ、バーバラ。君が働いているところとは市の反対側で、200キロも離れているね・・・」 

スティーブの口調は静かだった。

「君とポーター氏は、全長200キロもある大きなビルで働いていたんだね? この距離は、実際、君の職場の1階ロビーにあるレストランで会うために、昼間の渋滞の中、車を飛ばしてくるにしても、かなり長距離じゃないのかな。1時間の昼休みにおしゃべりをして、彼の夫婦問題の相談に乗ってあげる良き友人の間柄? それにしては気が遠くなるほど遠い距離だと思うが。どうだろう?」

スティーブは、部屋の中の他の4人のことを無視しながら、ファイルを読むふりを続けた。もっとも、義理の父の顔に浮かぶ狼狽の表情と義理の母の顔に浮かぶ混乱の表情は目に留めていた。バーバラの顔からは、恐怖を募らせていることが分かった。バーバラの祖母であるりディアは、聞かされていることに不快を感じているのを明らかにしていた。りディアは、叱る口調でつぶやいた。

「バーバラ、あなたは・・・」

スティーブは、ファイルを最後のページまで捲り続け、裏表紙の内側のスリットから写真を3枚取り出した。前のめりになり、バーバラと彼女の両親の前にあるコーヒーテーブルの上に最初の1枚を置いた。バーバラはその写真を見て、たじろぎ、目を閉じた。

スティーブはビジネスライクな口調で語り始めた。

「義父さん・・・それに義母さん・・・ごらんの通り、この写真には、高級宅地にある実に豪勢な大邸宅での、何か野外パーティのような場所における、私の妻が映っています。バーバラは、どういうわけか、このパーティのことについて僕に話をするのを忘れていたらしい。ですが、僕は、このパーティがいつ頃のことか探り出しました」

スティーブは顔を上げてバーバラを見た。バーバラは彼と目を合わせなかった。

「その日、バーバラは、女の友達2人と一緒に、泊りがけでオースティンに買い物に出かけると言っていたんです。・・・僕は彼女の言葉を信じましたよ」

その短い言葉から、スティーブが嫌悪感を募らせていることが、よりあからさまになっていた。

「ああ・・・それが・・・皆さんにちゃんと見えているかどうか分かりませんがね・・・」 皮肉な口調になる。 「・・・このラファエル・ポーター氏の手は僕の妻のお尻に来ていて、楽しそうに揉んでいるんですよ。皆さんも、そう思いませんか?」

ロイドは生唾を飲み込み、信じられないという風に頭を振った。横目で自分の娘を見る。何か言いかけようとしたが、何も言葉が出てこなかった。

スティーブは明るい口調に変わった。

「まあ・・・『体を触られたことは無かった』という返答については、これくらいにしておきましょう。思うに、バーバラは、あのパーティのことについても、どういうわけか説明するのを忘れていたようですから」

そう言ってスティーブは、テーブルの上、1枚目の写真の隣に2枚目の写真をおいた。

「さあ、今度も同じパーティの写真です。先ほどバーバラに訊いたとき、彼女は『キスも無かった』と答えていましたよね。でも、どうしてそういう返答ができたのか、理解しようとしても、僕は本当に困ってしまうんです」

スティーブは前のめりになり、バーバラとポーターの2人の顔の辺りを、指先でトントンと叩いた。

「ええっと・・・見えませんか? 僕の妻がこの男とぴったり唇を重ねていますよね? 一目瞭然、とでも言えるんじゃないかと。これは、見間違いの可能性はありませんね。僕の愛する妻は、どうして、このお友だちと、こういう風にして唾液を交換し合ったことを言い忘れたのか、不思議に思われることでしょう。違いますか?」

カウチに座る3人からは、まったく返事がなかった。2人がけのソファに座るリディアから、鼻を啜る音が聞こえた。ダイアンとバーバラは顔を上げて、不満そうにリディアを睨んだ。だがリディアは、少しもたじろぐ素振りを見せなかった。

スティーブは、最後のタブロイド版の写真をテーブルに置いた。そして、体を起こし、リクライニングのソファの背もたれに背中を預けた。赤裸々な3枚の写真を、カウチに座る皆が見るにまかせた。

「さて・・・この3枚目の写真は特に興味深いですよ、違いますか?」

スティーブは何気ない会話をするような口調で訊いた。

「これを見れば、僕の妻が、ラファエルの夫婦問題を解決するためにどれだけ親身になって助けていたか分かりますね? そうでしょ? ああ、バーバラ・・・君は彼の問題解決のために驚くべきことをしていたようだ。彼の指は君のスカートの中、ずいぶん上のところにきている。下着の中に入れていたのかな? ひょっとすると、あそこの中? ラファエル氏は顔に笑みを浮かべているけど、それから察するに、彼は、その夫婦問題とやらから脱することができているようだね。そうじゃないかな?」

スティーブの声に棘のある調子が増えてきていた。彼は自分を抑えつけ、リラックスしようとした。

「違うわ!」

バーバラが叫んだ。

「彼は・・・触ってなんかいなかったの・・・そんなところを・・・それに、やめてって何度も言ったのよ・・・」

バーバラは、そう言いかけたものの、部屋にいる誰もが同情していないのを見て、反論をやめた。

「ううむ・・・」 スティーブは考え事をしているようにうめいた。「話しをしてくれないか、バーバラ? つまり・・・その・・・どんな権利で、この人でなしの男は、僕の妻の脚や尻をいじって楽しんでもよいと思ったのか? まるで長い間、離れ離れになっていた恋人同士のように、君にキスをしてもよいと思ったのはどうしてか? ちょっとしたヒントだけでもいいから、ここにいるみんなに話してくれないか? 説明してくれないかなあ? 僕は是非とも知りたいんだよ」

バーバラは頭を左右に振るだけだった。

「その写真に写っているようなことじゃないのよ・・・私たちは、ただ・・・」

「バーバラ・・・バーバラ・・・」 2人がけソファに座るリディアが声をかけた。「お前、それでは自分のためにならないんだよ」

「お母さん!」 ダイアンがカッとなって叫んだ。リディアを睨みつけながら言った。「お母さんは、邪魔はしないって言ったじゃないですか!」 

「ええ、ええ、わかりました。そうしましょう!」

リディアは軽蔑するような口調で答えた。不満そうな表情から侮蔑する表情に変えながら、ソファの背もたれに背を預けた。リディアとダイアンの一幕のおかげで、バーバラは気持ちを落ち着かせることができた。

「ええ、分かったわ。認めます」 憮然とした表情でバーバラは答えた。

「確かに、私は彼をやめさせるべきだったわ。でも、この写真を見ても分かるとおり、私たちはひと目につく場所にいたの・・・だから、何と言うか、全然違うのよ、2人でどこかのホテルに入っているとか、そういうことじゃ・・・」

バーバラは急に小声になった。これらの写真でみんなが見たこと以上の出来事を想像させるようなイメージを引き合いに出すべきじゃなかったと、遅まきながら気づいたからである。だが、バーバラは、あの川辺の公園での出来事を思い出し、気力を奮い起こした。あそこには、こんな写真を撮るようなカメラマンはいなかったはず。悔やみ反省する口調でスティーブに答えた。

「スティーブ・・・こんな誤解を招くようなことになってごめんなさい・・・本当にすまないと思っているの。でも、そんなに神経質になるようなことじゃないのよ。あなたは私たちが公園にいたのを見た。そうよね? 私たちはただおしゃべりをしていただけ・・・あなたが見たのはそれだけだったのよ」

バーバラは、何も証拠がないと確信していた。確かにスティーブは疑念を持っているが、何も証拠はないはず。

「本当に? 何もなかったと?」 スティーブは落ち着いた声で訊いた。

スティーブはソファ脇の側卓からリモコンを取り、テレビに向けた。テレビのスイッチを入れた後、別のリモコンを取り上げる。このリモコンは彼のデジタル・ビデオのコントローラだった。デジタル・ビデオはすでに再生モードにセットされており、スティーブが望む再生箇所に合わせてあった。デジタル・ビデオはケーブル類の箱の脇に置いてあったので、部屋にいる誰もその存在に気づいていなかった。

スティーブには、ビデオをDVDに変換してもらう人を探す時間がなかった。彼自身、DVD変換を行うソフトウェアは持っていたが、操作の経験が非常に少なかったし、万が一、テープの中身を失ってしまうことだけは避けたかった。この日、録画したものをスティーブがみんなに見せるつもりなら、カメラをビデオ・プレーヤーとして使うという方法しかなかったのである。

スティーブは、バーバラを鋭い目つきで睨みながら、「再生」のボタンを押した。

大型テレビスクリーンに映ったサンダーバードはすでに川の水に入ったところだった。スティーブの乗ったピックアップ・トラックがバックで坂を登っているところだったので、画面は酷く揺れていた。だが、画質も音声も、完璧にクリアである。静かな居間で見ている者には、エンジンの轟音は耳をつんざくばかりで、スティーブは、思わず音量を下げた。トラックが後退を止めると、画面は安定した。ドアをバタンと閉める音が聞こえた。画面の左からスティーブの姿が現れる。カメラから離れ、前方に歩いていくところだった。ほとんど水際の近くまで歩いていく。

次の瞬間、暗い水中に沈みかかった車の助手席の窓からバーバラが這い上がってくるのが映った。その後に運転席側から男が同じく這い上がってくる。2人とも顔や体は泥だらけで、乱れきった姿でよたよたと岸に歩いてくる。バーバラはバランスを保とうと、両腕を激しく振っていた。しかし、それも虚しく、つまずき転び、肩まで川の泥につかってしまい、必死に這い上がろうとした。川底の穴から這い出て、浅瀬に来たものの、何か取り戻そうと、再び川の方に向き直った。屈みこんで、泥水の中からハンドバッグを引っ張り出し、高く掲げた。

スティーブは再生を止め、巻き戻しボタンを押した。

「とても面白いビデオだね。そう思わないかな、バーバラ?」

優しい口調で語りかける。そして、画面に映る数字が望む数値に達したのを受けて、巻き戻しを止めた。

「最低!」 忌々しそうにバーバラが言った。

バーバラは、あの日、自分に起きたことを自分の目で見ながら、再び怒りがこみ上げてくるのを感じた。誰にも・・・誰にも私にこんなことをする権利なんかない。あの時、ピックアップ・トラックが車にぶつかってきて、川の中へと押されていたとき、本当に死ぬほど恐怖を感じたのだ。川の水の深みに押され、自分もレイフも溺れてしまうかもしれないと。あの時ほど恐怖を感じた経験は他になかった。その時点では、まだスティーブの姿は見ていなかったし、車も夫のピックアップとは認識していなかったから。

バーバラは怒りに興奮した声で言った。

「あなたは、あんなことをする意味なかったのよ。レイフとは何もしていなかったんだから。それに・・・」

バーバラは、夫が自分をまるっきり無視しているのを見て、先を言うのをやめた。スティーブは、忙しそうにビデオを最初に見せた画面の前へと巻き戻し、少し早送りと巻き戻しを繰り返していた。ようやく望む画面を見つけたのか、画面を静止させた。

「さて、ここです」

スティーブは、バーバラの両親であるロイドとダイアンを見ながら言った。

「バーバラの手がちょっと上がるのが見えるでしょう。ここです。分かりますか?」

スティーブはシャツのポケットからレーザー・ポインタを取り出し、赤い光で画面上のある部分に輪郭を描いて見せた。そこの部分は小さく、不明瞭だった。

「ふう・・・!」 リディアは時々、どうしても何らかの形で自分の感想を漏らさずにはいられないようだった。

スティーブはちょっとリディアの方に目を向けた。リディアが不満を感じているのが、画面の中で起きていることに対してなのか、ビデオの画質に対してなのか、それとも、レーザー・ポインタまで用意していたスティーブの周到さについてなのか、彼には良く分からなかった。スティーブは、どうでも構わないというふうに肩をすくめ、ビデオに意識を戻し、再び巻き戻しをし、画面を止めた。

「それで・・・ここです。僕の妻が、またもや、ラファエル氏に唇のプレゼントをさしあげているところです。見えますね?」

スティーブは冗談っぽい口調で言った。サンダーバードの後部窓を通して見える2人の姿は、互いに腕を相手の体に巻き付け合い、頭部を重ねあわせていた。

「ああぁ・・・バーバラ」 ロイドは失望して溜息をついた。

「お父さん!」

バーバラはショックを受けた声を出した。父親には応援を求めていたバーバラだった。たとえいかに温和なものであれ、非難は求めていなかった。

「さて・・・」

スティーブはバーバラの声をさえぎって、先を続けた。

「・・・見て分かるとおり、僕の妻は、ここで、ちょっと前かがみになって・・・それからまた姿勢を戻しています」

スティーブは、画面内のバーバラの行動についてナレーションを加えていたが、それはほとんど必要ないことではあった。とは言え、彼のナレーションは、見ている者たちに、何を見ているかを強調して伝える働きはしていた。

「ここです!」

スティーブは、カメラのリモコンのスイッチを押し、画面を止めた。同じところを再生する。画面の中、バーバラは、一瞬、何か白いものを手に取り、それを前方に放り投げたところだった。

「見ましたか?」

誰も返事をしなかった。誰もがしっかり見ていたのは確かだった。スティーブはバーバラに目をやった。彼女の顔は死人のように青ざめていた。バーバラとスティーブだけは、何を見ているか、すでに知っていた。

「いま皆さんがご覧になったのは、僕の愛する妻が、他の男のために下着を脱いで、それをダッシュボードに放り投げたところです」

スティーブは、テレビ画面に映った白い物のぼやけた画像の持つ重要性を説明しながらも、その間、バーバラからは一時も目を離さずにいた。彼の声には叱責する声音がこもっていた。

スティーブは、リモコンのボタンを押し、画像を拡大させた。徐々にズームインさせ、バーバラの手にある布切れが、白いビキニ・パンティであることがまったく疑念がなく見て取れるところまで拡大し、そこで止めた。スティーブは何も言わなかった。バーバラは、カウチの上、静かに啜り泣きを始めていた。

スティーブは、画像の静止ボタンを解除し、早送りをした。バーバラが背中を向けて、川の中からハンドバックを拾おうとしているところで止める。画面の中、バーバラは前かがみになって、川の中を探っていた。

「恐らく、バーバラは車から這い出たとき・・・あるいは穴か何かに躓いた後か、自分のスカートがこんなに捲れ上がっていたことに気づいていなかったのでしょう」

スティーブはそこまで言って、後は何も言わなかった。画面の中、バーバラのスカートはすっかり捲れ上がっていた。スカートの裾は、腰のベルトのところで丸まって引っかかっているようだった。明らかに何も履いていない、裸の白いお尻がすっかり見えていた。部屋の中の全員、見ているものに関して見間違うわけがなかった。スティーブは再生ボタンを押した。何秒か先にビデオを進める。

「そして、これが・・・前から見たところ」

スティーブはツアーの旅行客に名所を案内するガイドのような話し方になっていた。

「ご覧のように、愛する妻の乳房があられもなく揺れていますね。どういうわけか知りませんが、バーバラはあの日、公園に行くとき、ブラジャーを着けずに行ったようです。ええっと・・・ポーター氏の夫婦問題の相談相手になれるよう、そのような格好になって行ったということなんでしょう」

スティーブは再び静止画像にした。バーバラの乳首が、冷たい水に触れたせいなのか・・・あるいはポーターに奉仕してもらっていたせいなのか・・・固くなり、ブラウスの濡れた生地の下、突き出ているのがはっきりと見えていた。スティーブは何も言わなかった。その代わり、再びテープを巻き戻した。今度は、ポーターが車の窓から這い出てくるところで止める。彼のボクサーパンツの開き口から、だらりと萎えたペニスがぶら下がっているのが見えた。

スティーブは、それ以上、何も言わずにビデオカメラのスイッチを切った。実際、これ以上、言葉は不要に思われた。

「とういうわけで、バーバラ・・・キスも、ペッティングも、セックスもなかったと? え?」

ロイドは両手で頭を抱えていた。彼は、最後のところは見ることができずにいた。ダイアンは、唾を飲み込んでいた。何を言っていいのか分からない。

バーバラは、打ちひしがれた声で言った。

「彼とはセックスしてないわ・・・決して!」

「まあ・・・とにかく、このときはセックスしてないだろう」 スティーブが切り返した。「俺は、君にセックスする機会を与えなかったからな。そうだろう?」 侮蔑がこもった声だった。

「もう俺や他のみんなをバカにするのをやめたらどうだ。君はこの男と公園に行って、どこかでブラジャーを外したんだよ・・・朝、家を出るときには確かにつけていたのを知っていたからな・・・さらに、この男のために下着を脱いで、こいつとセックスしようとしていた。そいつは、どう見ても明らかだろう。俺が、あの場に現れなかったら、やっていたはずだ」

スティーブはバーバラが泣くのをしばらく見ていた。彼女の母親は、瞬時、どうしてよいか分からなかったようだが、少ししてから、娘に腕を差し伸べ、すすり泣く娘の背中を優しく叩いた。

バーバラが囁いた。

「彼とは一度もセックスをしてないわ。・・・あの日、ひょっとしてしたかもしれない・・・私はすっかり混乱していて・・・本当はしたいと思っていなかったの・・・でも彼が大丈夫だと言っていたから・・・彼とはセックスしたいなんて思っていなかったの・・・」

バーバラは2、3回深呼吸をした。肩を軽くすくめ、その動きで、自分を抱く母親の腕を振りほどいた。

バーバラの抗議を切り捨てるように、スティーブは、「ふんっ」と鼻を鳴らした。誰にも聞こえるような大きな音で、軽蔑しきった内面をあらわにしたものだった。

「本当よ!!」

「お前はあいつと何回やったんだ?」 スティーブの荒々しい声がとどろいた。

バーバラは頭を激しく左右に振った。

「だから、言ったでしょ・・・一度もないって」

「また、デタラメを。・・・あの男は一物を外に出していて、お前も、ほとんど裸同然だったわけだ。そんな状況が、『初めてのデート』で起こるわけがないだろう。何回、あいつとセックスしたのか、それを訊いているんだ」

再びスティーブは問いただし、バーバラは頭を振った。

「何回だ?」

スティーブは3回目の質問をした。バーバラは彼から視線をそむけたままだが、またも、頭を振った。

ロイドがぎこちなく間に入った。

「ああ・・・なんだ、スティーブ・・・その・・・ビデオを見れば、2人は、実際、全然セックスしていないわけだし・・・君自身もそれは認めているわけだろう?・・・ううん・・・それにあの写真も変だったのは確かだが、それでも、あのパーティでも2人がセックスなんかしていなかったわけだし・・・ちょっと聞いてくれ・・・みんな、落ち着いてはどうだろうか・・・一度、深呼吸して、解決する方法を考えよう、この・・・何と言うか・・・この問題を解決する方法だよ」

ロイドは、希望にすがるようにしてスティーブを見た。

「・・・なあ、スティーブ・・・どんな夫婦も、こういうことを何とか切り抜けていているもんなんだ。君とバーバラもできるはずだ」

スティーブは義理の父を無表情な顔で見つめた。しばらく沈黙が続いた。ようやくスティーブは口を開いた。

「義父さん・・・あなたは、まるで、バーバラが街角のスーパーで風船ガムを万引きしたところを捕まえられたかのように、この問題を片付けようとしている。彼女が、くすねた風船ガムを店に返して、ちゃんと謝れば、彼女も反省したことだし、すべては元通りで万事解決だと、そう考えている・・・でも違うんですよ。バーバラはもはや幼い子供ではないんです。それに、単に、ごめんなさいって謝ったからといって、この結婚を元通りにできるなどありえないんですよ」

スティーブは立ち上がって、テレビとレイジー・ボーイの間をちょっと行ったりきたりした。

「考えてください・・・バーバラはずっと嘘をつきっぱなしでした。あの日のことについて、バーバラがどこに行ったか、行ったと僕に言った場所はまったく嘘でした。・・・何も間違ったことはしていないと言ったが、それも嘘。・・・まったく、義父さんの目の前だと言うのに彼女は嘘をついたんです。あなたはバーバラの父親なんですよ。そのあなたの娘が、次々と真っ赤な嘘を話したんです。・・・はっきり言いますよ・・・僕は、僕たちの結婚自体、最初の最初から完全に嘘ばっかりだと思っているんです!」

スティーブは再び行ったり来たりを繰り返した。

しばらく経ち、突然、スティーブが言った。

「君は、エレン・ポーターさんには、何かこういった作り話しを用意したのか?」

突然の質問にバーバラは驚いた。

「い、いいえ・・・何を?・・・誰?・・・」 バーバラは困惑した声で答えたが、質問の途中で発言をやめてしまった。

「バーバラ。既婚の男と火遊びを始める前に、あれこれ調査をしておくべきだな。エレンは、誰に聞いても分かるが、ポーター夫人だ。あのバカ野郎の奥さんだ・・・」

スティーブは少し間を置いた。そして静かな口調で続けた。

「・・・2人には娘がいるが、その娘さんは自分の父親のことを、どう思うだろう?」

バーバラの体から力が抜けた。再び、すすり泣きが始まった。スティーブは、バーバラが泣き止むのを待った。今のスティーブは彼女の涙に動かされることはなかった。あの歯科医院の待合室で新聞を読む前だったなら、彼女の涙にうろたえただろう。だが、今の彼は

違った。 「今になってポーター氏の妻子のことが心配になったのかね?」

スティーブは質問はしたものの、答えを待たなかった。バーバラが泣くことで、スティーブの質問がいったん休止したが、それは次の質問に移るための適切な間となった。

「オーケー・・・それじゃ、あのバカ野郎は、既婚の女と行ったちょっとした火遊びについて、自分の妻に何と伝えたのかな?」 あざける調子がこもった声だった。

「わ、私は知らないわ・・・あなたが私たちに会ったあの日から、彼とは話してないから」

「ほお? あいつとは話していない?・・・会っていないのか? 電話で話してもいない・・・メモや手紙のやり取りもなし・・・メールもしてないと?」

バーバラは、そうよと言わんばかりに激しく頭を振った。

スティーブは椅子に戻り、バインダーから紙を1枚取り出した。次に、玄関ドアの近くにある、3本足のテーブルへと急いで歩き、バーバラのハンドバックの中を覗き、素早く中から携帯電話を取り出した。

「黙っていろ!!」 スティーブの怒声が轟いた。それによりバーバラは抗議できなくなった。

「君は、俺に隠れて浮気をしようと決めた瞬間に、俺の家の中におけるすべてのものに関して、一切プライバシーを主張できなくなっているのだよ」

バーバラは立ち上がったものの、スティーブの目に浮かぶ厳しい表情に気おされ、再び椅子に腰を落とした。両手で頭を抱え、再び泣き始める。

「それで?・・・どうかな・・・あ、オーケー」

スティーブは、私立探偵にもらったバインダーから取り出した紙を見た。そして、義理の父のところに進んだ。

「ここのところを見てくれますか? 義父さん」

スティーブはロイドに携帯電話の画面を見せた。

「これはバーバラの通話履歴です。最近行った電話が20件か30件でています。・・・正確な数は忘れました。ともかく、上の方にある履歴が見えますね? 画面には4件しか出てませんが、スクロールすれば・・・ほら、山ほどあるのが見えますね。20から30くらい?」

「それで、最初の4件は、ラファエル・ポーターの携帯電話の番号です。それに、ここの2件は・・・これは彼の自宅の番号・・・次の3件は職場の番号です・・・どうです? 何が起きているか分かりますよね? この履歴は、一番上の2件を除いて、すべて昨日行われた通話なんですよ。この2件は今朝の通話だ。バーバラからかけた電話です。あなたたちがここに来る30分前に、バーバラはこの男に電話をしていたんですよ!・・・」

「・・・そして、たった30秒前に、彼女は、僕が2人が一緒になっているところをつかまえた日から、あの男とは話しをしていないと言ったのです・・・まったくのデタラメ、あからさまな嘘じゃないですか!」

スティーブは、パチンと音を立てて携帯を閉じた。そして、玄関ドアの方へ、力まかせに投げつけた。

「義父さん、僕がこの女性をもう一度信頼できるようになる方法など、あるとお思いですか?」

スティーブの義理の父は再びうな垂れることしかできなかった。下唇を噛んでいた。意味のあることなど何もできないし、何も言えない。

バーバラが死人のような声で口を挟んだ。

「スティーブ・・・お願いです・・・私は大変な間違いを犯してしまったけど、でもあなたのために償いができると思うの。約束するわ、もう二度と彼とは話さないから。二度と・・・」

スティーブはバーバラを見ようともしなかった。

「スティーブ・・・愛しているの・・・今日、ここで起きたことをちゃんと考えてほしいの・・・過剰反応しないで・・・お願い、あなた」

「過剰反応?」 スティーブはあからさまに疑いきった声で訊いた。「過剰反応だって? 自分の妻がいそいそ出かけて他の男とセックスを続けていたと言うのに、過剰反応するなだと!?」

最後には怒声になっていた。バーバラは、自分がしてきた行為を、できるだけ取るに足らないものに見せようとしている。そのことに対し、スティーブは突然怒りが湧き上がってきたのだった。スティーブは後ろを振り向いた。後になってから悔やむような行動だけはしたくないと思った。

その彼の背後からバーバラの低い声が聞こえた。声が震えていた。

「お願い・・・今はあなたが私を憎んでいるのは分かるわ・・・でも、もうこのようなことは二度としないから・・・お願い、スティーブ。元通りに私を家に入れて。・・・絶対、約束するから・・・」

「ここはすでに君の家ではないのだよ」 スティーブはバーバラの言葉を遮った。

この言葉を聞いて、突然、バーバラの目に鋭い怒りの表情が浮かんだ。

「この家は、あなたの家であると同時に私の家でもあるわ!」

バーバラは激高して反撃に転じた。彼女の両親も意気を高めて、バーバラに加勢する態勢になった。

スティーブは、座ったまま黙って事態を見ていたリディアの方を向いた。

「みんなに言っていなかったのですか?」

リディアは頭を振った。

「あれが意味を持つことになる日が来るとは思ってもいなかったものでね」

「何なの?」 ダイアンが心配そうに訊いた。「何のことを言ってるの?」

スティーブは静かな口調で説明を始めた。

「リディアは、この家の権利証書にサインしたとき、僕の名前しか書かなかったのです。僕は、バーバラと結婚して1年後まで、そのことに気づかなかった。リディアはその後、それを変更する手間を取らなかったのです。僕がそうした方が良いと頼んでもしてくれなかった。現在、この家の所有者は僕なのです。この家は、バーバラとの共有財産とはなっていない」

しばし、部屋中、沈黙が続いた。バーバラ、ロイド、ダイアンの3人はリディアを睨んでいた。もっとも、当の老婦人はまったく悔やんでいる様子は見せていない。

「まあ、そういうこと」 と肩をすくめ、それ以上、説明しようとすらしなかった。

「お母さん!」

「お母様!」

「ノニー!」

老婦人は立ち上がり、玄関へと歩いた。

「まあ、してしまったことは、してしまったことだから。過去のことは誰にも変えられないし・・・できることは、今の状態から最善を引き出して、前に進むこと」

リディアは他の皆に向けて言った。

「もう、みんな、ここに集まって話し合うべきことは全部、話し終えたと思うけど?」

ロイドが頷き、立ち上がった。ロイドとリディアの例に倣って、バーバラとダイアンも立ち上がり、ゆっくりと玄関ドアへと向かった。

途中、ロイドは振り返り、半分、すまなそうな顔をした。何か言いかけたものの、結局は、うつむき、頭を振り、そして向きなおしてドアを出た。

スティーブは、4人が玄関前のポーチの先へ進むのを見届けた後、玄関ドアをしっかりと閉めた。その閉めたドアに背を預け、もたれかかった。

「前に進む?・・・いや、無理だ・・・・すまない、リディア・・・だけど、ここから前に進むなど不可能なんだ・・・とにかく今は・・・」

スティーブはそうつぶやいた。


つづく
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