「報復」第3章  Requital Chapter 3 プロローグ 第1章(1).(2).(3) 第2章

6月第4週

あの土曜日の後の週末は静かだった。翌日曜日、スティーブは、庭のデッキの仕上げとジャクージの清掃をして過ごした。そのように忙しく雑用をすることで、物思いに沈むことなく過ごせたし、そもそも家の雑用が片付いていくという利点もある。

日曜日の夕方、彼は、バーバラの荷物をいくつか、彼女の両親の家へ運んだ。彼らは、土曜日に来たとき、荷物を持ち帰ることを忘れていたのである。

バーバラの家には誰もいないようだった。スティーブは、箱を車から降ろし、ガレージのドア前の通路に積み上げるだけにした。荷卸しを終え、車で帰るとき、通りの先の角をロイドの車が曲がってくるのを見たような気がした。本当にロイドの車かどうか確かではなかったが、それは彼にはどうでもよかった。

翌週の火曜日までには、バーバラの両親も、自分の娘が行った不実に関する映像証拠を見たショックから立ち直っているように思われた。スティーブは、電話の呼び出しが再び始まったのを受けて、そう推測した。火曜日の午後、バーバラから3本電話があり、彼女の両親からそれぞれ1本ずつ電話があった。スティーブは、バーバラからの電話は無視したが、ロイドとダイアンからの電話には、折り返し返事をした。

水曜日になると、電話の数は2倍に増えた。そして、木曜日、スティーブが帰宅すると、18本のメッセージが彼を待っていた。この他にも、彼は、携帯電話の方にも2本ほど呼び出しを受けていた。携帯の番号にはかけないでくれと頼んでいたにもかかわらず、である。

電話やメッセージの内容はおおむね同じだった。バーバラが、彼を裏切ったことを心から悔やんでいるということ。スティーブが写真やビデオの価値を誇張しているということ。そして、どうかお願いだから、バーバラは、みんながこれまで通りにやっていけるよう改心していたことを心の中に留め、許してあげられないか、という懇願。 

********

「スティーブ?」

「ああ、義父さん」

スティーブはうんざりした声で答えた。携帯電話が鳴ったとき、相手の番号をチェックせず、うっかり反射的に開けてしまったのである。その時にはすでに遅く、彼はうんざりしてしまった。誰からの電話なのかを知っていたら、決して出なかったのに。

「・・・ちょっと良いかな、スティーブ。ちょっと時間をとって考え直してくれただろうか? バーバラは、ずっと泣き通しなんだ。それに私たち・・・ダイアンと私だが・・・いつか近々、ゆっくり腰を降ろして話し合うことができないかと期待しているんだよ」

「ああ、いや、義父さん。いやロイドと呼ばせてもらうけど、何も考える時間なんかありませんでしたよ。今週はずっと、周りにワニだらけの沼地に入ったようなもの(参考)で、現場で起きる山ほどの問題をこなすのに精一杯でしたから。・・・でも、そうでなくても、多分、全然関係ないでしょうね。要点は・・・バーバラは僕に隠れて浮気をする選択をしたということ。そして、それは今度で最後でしょう。今後は私と別れて好きに男と付き合えばよい。そういうことです」

「ああ、スティーブ・・・」 ロイドは落胆した声の調子になった。「私は、君が怒りを鎮めて、少し理性的になる道を探ってくれるのを期待しているんだが・・・」

スティーブは返事をしなかった。自分が理性的になっていないという仄めかしにカッと頭に血が上るのを感じた。それでも、いつの日か言わなければよかったと後悔するような言葉だけは言いたくなかった。

スティーブは、気を使いながら、言葉を発した。

「いいえ、ロイド。私の『怒り』とおっしゃいますが、僕はそれを鎮めるつもりなどありません。もっと言えば、どうして僕がそうすべきだと思うのか、そちらの言い分の方が理解できない・・・

「考えてくださいよ。もし、ダイアンが突然、他の男性と逢い始めたら、どう思いますか? ある日、ダイアンが下半身を裸にしたまま、他の男の車から這い出てくるのを見たら? そんなのを見たいと思いますか? 自分の妻が、他の男に愛撫されながら、その男にキスをしているところをどうして見たいと思うんですか? そんなことが、あなたが望むことのリストで上位に位置することなんですか?」

ロイドは、少し間を置いて、返事した。

「いや・・・そういうことは望まない。だけど、もし仮に、そういうことが再び起きることを防いだなら・・・そうなりそうなところを押さえたわけだからね・・・そうしたら、私なら、妻と一緒に、それを乗り越え、前進するだろうと思うんだよ」

そこまで言ってロイドは静かになった。スティーブも同じだった。

「・・・スティーブ、少し過剰反応してると思わないかね?」

長い沈黙の後、ロイドが尋ねた。本心では、この言葉を使いたくなかったのか、速い口調だった。だが、ともかく、無理をしてでも口に出して発したのだった。

スティーブは下唇を噛みしめ、子供の頃、母に躾けられたように、心の中で10まで数えた。スティーブは、一度数えた後、もう一度10まで数えなければならなかった。時には、10まで数えるだけでは、足らない時があるのものだ。

スティーブは落ち着いた口調で答えた。

「ロイド・・・今度、誰かが『過剰反応』という言葉を言うのを聞いたら、僕は怒りを爆発させてしまうと思います。こんなことを言うのは、僕がそうなった場合に、あなたがそばにいないようにと思ってのことです・・・」

返事はなかった。

「ロイド・・・僕は疲れています。仕事が大変だったし、いくらか睡眠をとる必要がある・・・ですから、お願いです、もう今夜は、僕に電話しないでください。いいですか?」

「ああ・・・分かった、スティーブ。すまなかった。こんなに夜遅くなっていたとは。それにすら気づかなかったよ・・・ゆっくり休んで、明日は元気になってくれ。いいね?」

「そうします。ありがとう、ロイド。おやすみなさい」

********

スティーブは疲れきっていたが、それでもなかなか眠れなかった。

「過剰反応」

この言葉は、最近、自分の周りで山ほど使われるようになっている。30分ほどベッドの中、絶え間なく寝返りを繰り返した。その後、スティーブは起き上がり、廊下を進み、書斎に入った。パソコンのスイッチを入れ、Eメールのソフトを立ち上げた。

過剰反応? 彼はすでに眼にしていたのである。これに対して過剰反応などありえない・・・ほとんど、ありえない。

バーバラは、依然としてポーター氏と連絡を取り合っていたのである。それがスティーブには我慢できなかった。土曜日、あの場に彼女はいたのに、状況を変えることは何も起きていなかったのだ。スティーブは分かっていた・・・証拠はないということを・・・・だが、依然としてバーバラがポーターと話し合いをし、情報を伝えるために、おそらくどこかで会っていることは分かっていた。これをやめさせるにはどうしたらよいか? 良い方法をスティーブは知っていた。この1週間ほど、彼は、その方法のことを考えては、内心喜んでいたところがある。

私立探偵事務所から渡された3穴リングのバインダーを取り出し、求めているページを開いた。手元にある情報をすべて打ち込むのは大変で、2時間ほど掛かった。だが、ようやくその作業を終えたときは、達成感で気分が良かった。明日は睡眠不足の影響が出てしまうだろうなとは感じていた・・・だが、今夜は、価値のあることを行ったという達成感で満足だった。

「過剰反応だと?」 スティーブは、クククと笑い声を出した。「みんな、これにも反応しろよ」

********

彼女は、昨日の午後、有給で仕事を休んだ。そして再び、彼女は重圧に押しつぶされそうになる。白と黒の文字を眺める・・・スティーブとの離婚に関して裁判所に申請する法的書類を読むことは、彼女にとって、まったく準備をしていなかったことだった。

今朝、バーバラは心重く、集中できず、すっかり困惑していた。昨夜はずっと、自分がどうしてこのようになってしまったのかを考えようとしていた。だが無駄だった。心に濃く曇りが掛かっており、ほとんど何も考えられなかったのである。2時間ほどしか眠っていない。

仕事に行く途中、車のガソリンがほぼ空になっており、ガソリン・スタンドに立ち寄らなければならないことに気づいた。操作パネルの赤いライトを点滅させながら、職場まで何とかたどり着こうとするなど、恐くてできない。これまで、こういうことはすべてスティーブがしてくれていた。自分でガソリンを入れたのはずいぶん前のこと。バーバラは、案内の指示を読まなければ、クレジットカードをスロットに正しく入れることすらできなかった。

混乱しつつも、何度試しても、カードがすぐに弾き出されてしまい、手順の最初の2操作ほどをやり直さなければならない。その後、ようやく、最初に、汚れないよう保護されたボックスを開け、中のボタンを押してから、給油装置のロックを外すことに気づく。これをし忘れていただった。バーバラは、こういう経験はあまり繰り返さずにすめばいいのにと思った。

スティーブが理性的になってくれさえすれば、すべてが元通り普通に戻れるのに。何と言っても、バーバラは、実際、レイフとセックスをしてはいなかったのである。それに、レイフの馬鹿な一物を自分の口に許したこともないし・・・もちろん、その下の所にも。レイフは、人の良い男で、バーバラが望まないことを強要することなどなかったし、ゆっくりと関係を進めようと言っていた。プレッシャーは絶対かけないと、彼は言っていた。ではあるが、バーバラは、ひょっとすると、あの、スティーブがレイフの車を川へ落とした午後には、自分はアレをしたかもしれないとも思っていた。

レイフは、あの事件について、いまだに激怒している。スティーブには、あんなことをする必要などなかったはずだ、と言っていた。完全に限度を超えた行為だと。野蛮な行為だと。ではあるが、レイフは警察を呼び出したりはしなかった。あの日、あの公園でレイフがしたことは、沈みかかった車のダッシュボードに手を伸ばし、携帯電話を取り、レッカー車を呼び出したことだけ。スティーブを訴えるつもりだとは言っていたが、バーバラの知る限り、レイフはまだそれをしていない。

バーバラは、最近、自分に起きたすべてのことについて、頭の中が混乱していた。自分の人生がどこに向かっているかうろたえていたし、普通だったら自分が行うことがなかったこまごましたことに囲まれ悩まされていた。心が、あれやこれやのことに勝手に飛び移ろい、1つのことに十分に時間を掛けて落ち着いて考えることができない。

ようやく職場に復帰する頃には、すでに彼女の神経はかなりぼろぼろになっていた。復帰の初日からバーバラは遅刻し、そのことを彼女は嫌悪した。遅刻により一日のスタートが最悪になってしまうし、その日、一日の調子を決めてしまうように思われた。最近、何も良いことがない。

職場があるビルの6階に着いた。バーバラは、職場のすべての人が自分を見ているような気がした。彼女は、元来、普段から人の目を少し気にする性格ではあるのだが、この日は、いつもに増して人の目が気になった。先週、スティーブがあれほど詮索に夢中になっていたことを知った後は、バーバラは自分が終日監視されているような気持ちだった。とても居心地が悪い。今はみんなが自分のことを見ている。探るような眼で。まだ私立探偵がいて、自分の行動をくまなく追跡しているのだろうか?

「やあ、バーブ」

トムが声を掛けた。彼は首をひねって、間仕切り小部屋のキュービクルの間の通路を歩くバーバラの後姿を見た。

「今日は、誰も一緒じゃないの?」

トムの表情は柔和だったが、バーバラは彼の眼に何か別のものを見たように感じた。

「あ、・・・いえ・・・誰も」 困惑しながら答えた。

バーバラは、後ろを振り返って、通路に何人か他の従業員がいて自分とトムを見ているのを見た。バーバラは、トムの質問の意図をはっきりとは理解していなかったが、その変な質問に驚いたばかりでなく、他の人たちが廊下に立って自分を見ていたことを知り、二重の意味で驚いた。その中にあの2人もいた。バーバラが嫌っている女たち・・・彼女たちも、バーバラのことを好きだとは思っていない・・・その2人がいやらしそうな笑みを浮かべて彼女を見ていた。バーバラは、不安になりながらトムを一瞥し、さっと振り戻って、通路を進んだ。

「おはよう、バーブ! 今日はずっとおひとり?」 

今度はケイティがバーバラに声を掛けた。ケイティはトムとは違って、立ち止まって会話をすることはせず、横を通り過ぎながら声をかけ、そのまま歩いていった。バーバラは、いやな感じがした。何かが起きている。でも、何が起きているのか分からない。

突然、後ろからジュンがバーバラの肘を取り、そのまま自分のデスクへ引っ張った。バーバラは、驚き、声を出そうと口を開いたが、ジュンはそれを制した。

「来るの!・・・何も言わずに・・・いいから、来て」

バーバラは、こんな風にせかされて引っ張りまわされるのは嫌だった。品がない感じだ。引っ張られているため、スカートがずり上がってきている。顔が赤らんだ。もっと裾が長いスカートを履いてきたかったけど、裾の長いスカートは全部、スティーブが段ボール箱に詰め込んだのに混ざっていて、しわくちゃになっていた。まだ、ドライ・クリーニングに出していない。

今日、履いてきたスカートはレイフが買ってくれたスカートだった。普段なら、このミニスカートを履くと、少しセクシーになった感じがする。でも、今日はそういう感情は、求めていなかった。時々、レイフのことや彼が言ってくれたことが、少し、古びた印象になることがあった。

ジュンは自分の小さなキュービクルの中にバーバラを連れ込み、コンピュータの前に座らせた。そして、一度、深呼吸してから、Eメール・ソフトをクリックした。

「バーブ、あなたに何が起きているか、・・・というか、あなたたちでも何でもいいんだけど、何が起きているか、そんなの、私、知らないわ。でも、このメール、このビルにいる人、全員に送られていることだけは間違いないわよ」

ジュンは、「この男女をご存知ですか?」という不気味な件名のメールをクリックした。開封の後、下へとスクロールする。バーバラの眼に、文面が入った。

「この男女をご存知ですか? この2人は、どちらも既婚者で、かなり前から浮気を続けているのです。もし、バーバラ・カーティスとラファエル・ポーターが一緒にいるところを見かけたら、下にある番号に電話をし、いつ、どこで2人を見たかお教えいただけると幸いです。通報の秘密は最大限に厳守いたします」

バーバラは、最初、まったく理解できず、メッセージを読み直した。ジュンがさらに下へスクロールすると、バーバラとラファエルが並んだ写真が出てきた。その写真の下には、自分の家の電話番号が載っていた。過去4年間、スティーブと共有してきた家の電話番号である。

「ああ、なんて・・・ひどい・・・ああ・・・」 

バーバラはうめき声をあげた。

何をしてよいか分からない。バーバラは顔を上げた。そこにはビルの顔があった。キュービクルを仕切っているパティションの上から、身長197センチの痩せて骨ばった体を乗り出している。何も言わず、あたりを見回しながら、繰り返しジュンのパソコン画面を覗き込んでいる。彼は、あたりにジュンとバーバラしかいなかったため、仕方なく同情するようなふりをして見せ、ゆっくりと自分の椅子へと体を下げた。途中、キュービクルの壁から額と両目だけが出ているところで止まったが、その後、姿を消した。

バーバラは、ハンドバックの中から急いで携帯電話を取り出し、家への短縮ダイヤルを押した。溢れる涙を堪えながら、電話が彼女の家に・・・元の家に・・・つながるまで、すまなそうにジュンを見上げていた。電話の向こう、呼び出す音が鳴っている。

「スティーブ!」 バーバラは小声で言った。「何してるのよ!」 誰にも聞かれないよう、口のところを手で覆いながら囁いた。「何してるの・・・早く取って!」 いらいらした声で言う。 電話は2回呼び出し音がなった後、カチッ、カチッというクリック音が何度か続き、その後、留守番電話に切り替わった。

「はい・・・こちら不倫ホットラインです」 

スティーブの声だった。バーバラは良く知っている。ただ、彼の声には依然とは異なる調子がこもっていた。どこか、よそよそしい。

「もし、ラファエル・ポーターが、バーバラ・カーティスとキスしていたり、抱き合っていたり、愛撫しあっていたり、まさぐりあっていたり、体のどの部分であれ、そこを揉んでいたり、セックスしていたり、あるいは単に一緒にいただけでも構いませんが、そのような現場を目撃したら、どうぞ、このまま電話を切らずにお待ちください。あなたの電話は私たちにとってとても重要なのです。・・・

「・・・ビープ音の後、この不倫を行っている2人をあなたが見かけた、日時、場所、そして、どのようなタイプの不倫行為を行っていたかをお話ください。あなたが提供してくださる情報はすべて完全に匿名を保障されますのでご安心を。情報を提供していただいたからと言って、そちらへ誰かが訪問するといったことは一切ありません。お気遣いとご協力に感謝いたします」

バーバラの耳に、鋭いビープ音が鳴り響いた。彼女は、留守番電話が録音を開始していることは分かっていたが、何も考えることができなかった。言うべきことは何もない。電話を切り、短縮ダイヤルの1番目の番号を押した。ともかく、誰かに話を聞いてもらいたかった。相手の電話が取られてから、声がするまでのたった半秒の間、バーバラは辛抱強く待った。

「お父さん?」

彼女の声は絶望に満ちていた。

********

スティーブは電話が鳴っているのは知っていたが、無視した。もうすでに、電話は28回目。その大半が、何ら情報がない、いたずら電話だった。

2本ほど悪意がこもった電話もあった。自分の妻なのに、どうして浮気しに出かけるのを止められなかったんだと彼をなじる電話である。これにはスティーブは悩まされた。このような電話を掛けてくる者たちは、本気で、男たるもの、普通の生活をしつつも、自分の女を24時間、注意し続けるべきだと考えているのだろうか? この種の電話には悩まされたものの、明らかに馬鹿げていると分かる電話であるので、スティーブは即座に無視することにしていた。

そして今も電話がかかってきた。留守電にしてある。スティーブは、ラップトップのキーボードから指を離し、かかってきた電話の内容に少しだけ耳を傾けた。

電話の相手の声は、柔らかな声だが、疲れが混じった声でもあった。打ちひしがれた感情がこもっていた。まるで、声の持ち主は、崩れ落ちそうになるのを必死に堪えているようだった。

「どなたかいらっしゃいませんか?」 

その女性はしばらく黙り、様子を伺っていた。

「私は・・・あのEメールのことで電話をしてきたのです・・・一体、何が起きているのか、私にはさっぱり・・・」

ほとんど囁きに近い声だった。

「どうか、お願いです・・・どうしても教えて欲しいのです」

スティーブの背筋を冷たいものが駆け、それが何度も繰り返された。突然、電話の向こうの人物が誰なのかを悟り、スティーブは受話器に手を伸ばし、取り上げた。

「もしもし? ポーター夫人ですか?」 スティーブは静かな口調で尋ねた。

「は、はい・・・。そちらは?」 声がかすれている。

「スティーブ・カーチスです。こ、このような形で、奥さんに、事実を知らせたことを謝らせてください・・・」

スティーブは、さらに続きを言おうとした。問題のメールを発信した時、スティーブが、ポーター夫人のことを考えていなかったことは、残酷なことだったと言える。だが、スティーブは、この不快な出来事を暴露し、永遠に止めさせること以外、何も考えられなかったのである。

「これって、本当のことなのですか? 2人が一緒にいるところとか・・・あなたは、そういうのをご覧になったのですか?」

囁くような声で問いただす。スティーブは深呼吸をして、デスクの椅子にもたれた。

「ええ、事実です」 彼はできるだけ温和に聞こえるようにした。「2週間ほど前に開かれた募金のパーティでの写真を持っています・・・それに先週、シティ・ビュー公園で2人が一緒にいるところを見た時のビデオもあります」

「あの公園? でも、あそこでは、夫は、当て逃げの車に車をめちゃくちゃにされた場所のはず」

スティーブは鼻をすすった。

「いいえ、違います・・・私は、逃げたりはしていません。でも、ご主人の新車のサンダーバードに手ひどいことをしたのは私で、それは事実です」

ポーター夫人は長い間、黙ったままだった。

「その写真やビデオを見ることはできないでしょうか?」 

彼女の声は、前にもまして、か弱い声になっていた。スティーブは、その弱々しい声が好きではなかった。

「奥さん・・・ええ、お見せできますよ。私が持っているものをすべて、お見せできます。Eメールを持ってますでしょうか? 何枚か写真をお送りします」

ポーター夫人はスティーブに仕事用のメール・アドレスを伝えた。彼女は、仕事先の店舗のサーバーに自宅から頻繁にアクセスし、メール・チェックをしている。数秒後、スティーブは、電話の向こうでチャイムのような音がするのが聞こえた。エレーン・ポーターのメールに新しいメッセージが届いたことを知らせる音だった。彼女は受話器を置いたようだ。向こうから、かちゃかちゃとマウスをクリックする音が聞こえた。その後、しばらく、音がしなくなる。後ろの方で、ポーター夫人が静かにすすり泣いているような音が聞こえた。

スティーブは自分が悪役になったように感じた。昨夜、衝動的に、多量にメールを送ったことを思い、そのときの自分の動機は一体何だっただろうと疑った。ポーター夫人が泣く声をしばし聞き続ける。彼女の悲しみは、スティーブの胸にひどく応えた。

「奥さん?・・・ポーターさん?・・・」 もう一度、謝れられたらと願い、スティーブはポーター夫人に呼びかけた。

「・・・はい・・・ここにいます」 囁くような小さい声で返事があった。「すみません、カーチスさん。実は私も、ここ何ヶ月か疑っていたんです・・・でも、辛いものですね・・・もはや無視できないこととはっきりしてしまうと」 

その後、短い沈黙の時間が流れた。

スティーブは、言葉をかけるべきかどうか分からなかった。言葉をかけたいとは思ったが、どんな言葉をかけても、エレーン・ポーターの気持ちを鎮めるのに役に立たないように思えた。

「カーチスさん?」 ほんの少しだけ声に力が戻ってきているように聞えた。少しだけ、声に弾みがついている。

「はい、奥さん?」

「ビデオはどうなのかしら? ビデオがあるととおっしゃったでしょう?」

「ええ、えっと・・・大体10分くらいの、公園でのことを撮ったのがあります」

「それを見ることはできないかしら?」 落ち着いた声だった。

「もちろん、いいですよ。・・・その・・・今夜、ですか?」 スティーブは躊躇いがちに訊いた。

「いえ・・・何も、ぜひ今夜というわけではないんですが・・・厚かましく要求してると思われたくないので・・・」

「あ、いや・・・別に、そういうつもりで言ったんではないんです。ただ、私が奥さんの心情を理解しているということだけは伝えたくて・・・。私たちは・・・なんと言うか・・・真っ暗な部屋でお互いがどこにいるか両手を突き出して探り合っているようなものだと思うんです。お互いのことをまだよく知らない。それに私は、今回のメールであなたの心を傷つけてしまっている。私は、もうこれ以上、悪い状態にしたくないんです。・・・どう言って良いか良く分からないのですが・・・こういうことを経験したことがなかったし・・・」

少し間があった後、エレーンが返事した。

「それは良いんです、カーチスさん。私も同じように感じているのです。主人が、カーチスさんのご夫婦にしてしまったこと、本当にお恥ずかしいですわ。私も何と言って良いか分からないんです・・・」

「でも、ひとつには、ご主人も私の妻も、すでに立派な大人だということがあると思います・・・お年寄りたちがよく言うように、一人ではタンゴは踊れないと言うじゃないですか。私たち夫婦に対して、関係を害することを行ったのは、私の妻なんです。だから、奥さんは、何も恥ずかしく感ずる必要はないんです。奥さんが悪いんではないんですから、ポーター夫人」

「・・・エレーンと呼んでください」 彼女の声は、前に比べ、より落ち着きが出てきていた。

「分かりました・・・エレーン・・・私もその方が気が楽です。私のこともスティーブで。いいですね?」

2人はその後も2分ほど会話を続けた。2人が知っている場所で、落ち着いて話しができるような場所がないだろうかという話題が主だった。結局、2人が知っている小さなキャフェに話がまとまった。その場所なら、共に気兼ねなく話し合いができそうだった。

2人とも急いで夕食をとった後、キャフェに行き、実際に面会した。そのキャフェでは、翌日の早朝、深夜営業のクラブが終了する時間帯までは、客が少ない。2人は時間をかけて話し合えたし、スティーブもビデオを見せることができた。ビデオはまだカメラの中に入ったままだった。早くこの画像をDVDに変換できる人を探さなければと、スティーブは改めて感じた。

********

例のEメールの後、ロイド、ダイアン、そしてバーバラからの電話は、怒りがこもったものに変わった。バーバラは、勤めているレイノルズ・アンド・サンズ社に長期休暇を願い出た。職場でのハラスメントや不快感を感じたのが理由である。これまで溜まっている年次休暇と正規の病欠可能日数が尽きた段階で、職場に戻るか、あるいは、無給の欠勤に移行するかを決めるつもりだった。もちろん、バーバラは、この状況について不満を持っているわけで、その感情を、ここ数日間、電話を通じてスティーブに知らせ続けた。激しく感情をぶつける時もあれば、穏やかな時もあり、悪意がこもっている時もあれは、そうでない時もあり、何度も掛けてくる時もあれば、比較的少ない時もあった。

ロイドとダイアンは、「人として、どうしてこんなことができるのか」の類のメッセージで、スティーブを爆撃し続けた。結局、スティーブは、この類の質問にうんざりし、バーバラや彼女の家族からの電話は一切、受け付けないことにした。ただし例外があって、それはバーバラの祖母からの電話であった。

電話の向こう、リディアは陽気な声だった。

「もしもし? お若いの、そっちの調子はどうかね?」

「こんにちは、リディア・・・僕は大丈夫ですよ。そちらは?」 スティーブは、電話を受ける前に、発信者のIDを注意深くチェックしていた。この電話は、彼にとって、是非とも受けたい電話であった。

「クソババアにとっちゃ、ゴキゲンだぜ」

この返事は、リディアのお気に入りの決まり文句だった。これを聞くと、スティーブはいつも思わず笑ってしまう。リディアが言うたび、いつも心底笑ってしまうのだ。多分、彼女は、使うたびに、微妙に言い方や、熱の込め方を変えるからかも知れない。毎回、違うように聞こえる。

「その言葉を聞いて嬉しいです」 スティーブは温かみを込めて言った。

2人はしばらく、他愛無いことを話し合ったが、その後、リディアは突然、核心に触れた。

「ところで、お前さんは、我がモンゴメリー家に、ひと騒動、巻き起こしちまったようだね」 

スティーブは肩をすくめた。「ええ、分かっています。僕が巻き起こした部分もあれば、離婚訴訟の仕事の一部といえる部分もありますけど」

「ふむふむ・・・お前さんは、どうしても、ああしなければ気がすまなかったんだろうよ・・・お前さんが、みんなにあのメールを送ったことだけどね」

リディアの言葉にスティーブは驚いた。

「・・・そう言ってくれたのは、あなたが初めてですよ。でも、そういう感想は、ロイドとダイアンの間では、あまり、人気がある感想じゃないのでは?」

「まあ・・・あたしゃ、あんなの全然、気にならないからね。ともかく、あたしには、外からの何らかの圧力がないと、家のバービーちゃんは、ずっと続けていただろうって思えるのさ。いつまでも正気に戻らずに、あの馬鹿と話したりメールしたりを続けてただろうってね・・・・

「まあ、何と言って良いか・・・あたしゃ、バーバラがあいつに会っているとか、そういうことを言おうとしてるんじゃないんだよ。ただ、バーバラの話し振りからすると、あのバカ野郎が彼女に、お前さんがいかに下劣なのかとか、あんな風にバーバラを突っぱねて、酷い目にあわせられるのは、下劣漢だけだろうとか、そんなことばっかり吹き込んでるのは確かだと感じたのさ。まあ、言ってみれば、あたしゃ、家のバービーちゃんに、前もってきっちり言っておきたいって思ってるわけさ。あたしゃ、そのうち、爆発しちゃうよってね」

スティーブは笑いを堪えることができなかった、スティーブが知る限り、リディアという人間は、どんなことも、はっきりとあからさまに言う人間だった。彼が知る誰に関しても、リディアは、歯に衣着せぬ言い方をする。

電話を挟んで両者がしばらく、くすくす笑いをした後、リディアは続きを話し始めた。

「まあ、とにかく、あのバカ者は、お前さんが例のメールを発信した2日後あたりにバーバラに電話をかけてよこしたんだよ。で、バーバラに、もう会ったり、電話で話したり、Eメールをやり取りしたり、その他、どんな形でもメッセージの交換は止めると言ったのさ。いついつまで止めるって言うんじゃなくて、無期限で止めると。後で分かったんだけど・・・あいつの奥さんが、ちょっと手綱を締めて、あのバカを手荒に扱い、拍車でビシッっと痛めつけたらしいがね」

リディアは嬉しそうに語った。

少し間を置いてスティーブが訊いた。

「それについてバーバラはどんな反応を?」

「もちろん気に入らないようだよ」 リディアは、即答で答え、くすくす笑った。

「ロイドもダイアンも、ほとんど、毎日、それも一日中、バーバラを叱り続けていてね、バーバラは、レイフだけが友達と思っていたのだろうさ。でも、そのレイフも手を引いてしまった。バーバラに残された話し相手は、結局、自分自身だけになっちまったのだよ。でも、そうなっても、あの子は、その自分の中の別の自分から聞かされる言葉も気に入らないようだがね」

スティーブは何を言ってよいか分からなかった。

「そうだったんですか・・・ロイドたちの話からは、そういう状態は分かりませんでした。1度でも、その話しをしてくれたらよかったのに。聞かされた事といったら、この結婚の危機を回避するには僕がどうすべきかとか、僕が小さな砂山のような話しを巨山のように誇張しているとか、バーバラがどれだけ悲しんでいるとか、そういう話ばっかりだった」

「ええ、分かってます」 リディアは同情を込めて返事した。 「まあ、良くないことと言われるかもしれんが、私は、ロイドたちがお前さんへ電話をするところを何度か立ち聞きしていてね。だけど、これは、しっかり理解して欲しいんだが、ロイドたちがお前さんに話していることと、バーバラに話していることは、全然、違うことなんだよ」

スティーブは、リディアの言葉を咀嚼し、理解しようとした。

「まあ、両親であるわけだからバーバラを守るのは当然だと思います。自分の娘なのだから」 思慮深そうに応えた。

「その通り! でもね、お前さん、バーバラにとって、今、誰が、一番の友達なのか分かるかい?」

スティーブは、少し考えなければならなかった。

リディアは、昔のテレビのクイズ番組でよく使われていたメロディをハミングしていた。参加者が回答するまで何秒か流れる曲だった。スティーブは、時を刻むカチカチという音が聞こえてくるような気がした。

「ああ、そうか! あなたですね?」

リディアは声を立てて笑った。

「アハハ! お若いの、全財産、賭けておいた方が良かったね。というわけで、これから、あたしゃ、お前さんにしょっちゅう電話して、お前さんの奥さんからのメッセージを伝えるし、お前さんからのメッセージもバーバラに伝えることにしたのさ」

そこまで言ってリディアは声の調子を急に変えた。「私には、これがこの上なく良き策と思うのだけど、どうかね?」

スティーブは笑い出してしまった。リディアはテキサス南部で生まれ、育った。だが、彼女は、東部にある一流私立学校で教育を受けており、その気になればの話しだが、一流名門階級の者たちとも、お上品にティーを楽しむことができるのである(参考)。リディアが急に話し方を変えることについて、呆気に取られる人がいるが、スティーブには、これは魅力を感じるところだった。そしてリディア自身、そのことを知っていた。

「アハハ・・・ええ・・・そうですねえ、今日のところはバーバラへの伝言はありませんが」 スティーブは笑いながら答えた。

「だが、彼女の方はあるんだよ」 リディアは素早く答えた。スティーブは沈黙した。

「どんな?」 ようやく言葉を発したスティーブだったが、その声はぶっきらぼうな声だった。

「私と話すとき、そんな声で話さんでくれないかの、お若いの・・・そんな風に身構える必要はないのだから」 リディアは再びテキサス訛りを使った。

スティーブは溜息をついた。「ごめんなさい、リディア。僕は、普通、あなたが会話を操っても気にならないのですが・・・いや、むしろ楽しんでるのですが・・・でも、今、あなたは僕の傷口を突いているんです」

しばらく時を置いてリディアが答えた。

「いつも言っている通り、あたしゃ、お前さんのことを非常に頭が切れる男だと思っているんだよ・・・」

口調には責めるニュアンスはなかった。

「・・・お前さんが何も言わないので、お前さんのことを低く見ている者が何人かいるけど、あたしにゃすぐに分かったものさ。お前さんは、引き下がって、落ち着いて腰を降ろし、他の皆がバカなことをしているのを観察するのが好きな人間だとね」

リディアは、またしばらく間を置いた。

「・・・つまりね、スティーブ。お前さんとバーバラは、お前さんがちょっと手綱を引き締める気になってくれたら、素晴らしいカップルになれるということなのさ。・・・あたしも、この老いぼれ婆さんの私に考えられる全てのことを試すまでは、仲直りしたお前さんたちを見たいと思うのを諦めないつもりなのだよ。聞いてるかい? お若いの」

「ええ、聞いてますよ、リディア」 スティーブは冷静に答えた。「でも、僕には、そうする理由がなくなっているのです。バーバラは、僕の前で絆を断ち切り、僕を傷つけたのです。男にそういうことをする女と一生をとげるなど、僕にはできないんです」

「えぇ、それは分かるよ・・・分かる」 

しばらく沈黙が続いた。沈黙が長すぎると感ぜられるほどになり、リディアが口を開いた。

「スティーブ?」

「はい・・・聞いてます。ただ、何を言ったら良いか、思いつかなくて・・・」

「あたしゃ、そろそろ、電話を切って、お前さんには仕事の続きをさせることにするよ。でも、その前に、一つ、頼みたいことがあるんだよ。さっき言ったバーバラからのメッセージというのが、これなんだけどね」

「ええ、どうぞ、おっしゃってください」 スティーブは事務的に答えた。バーバラが思っていることを聞かされても、何の支障もないだろう。

「スティーブ? ・・・一度、カウンセラーに面会するというのはどうだろう?・・・カウンセラーでなくても、誰でもいいのだけど、バーバラとの関係を修復する手助けをしてくれるけど、お前さんができないと感じてることを無理強いしたりはしない人物だよ。どうだろうか?」

「いや、ダメです」 スティーブは即座に断った。「リディア、それには何の意味もありません。バーバラと僕とは、あまりに多くの点で、大きくかけ離れてしまっているのです。もはや、修復などありえません」

「でも、ともかく、ちょっと考えてみておくれ、スティーブ」

2人は、その後、数分、話を続けた。リディアは、さらに2回ほど、スティーブに、個人カウンセリングや結婚カウンセリングを受けてみることを頼んだが、リディアが、どの方向からその件にアプローチしても、そのたびにスティーブはきっぱり断った。リディアも最後には説得を諦めたが、それでも、スティーブに、時々、彼女に電話をするという約束は引き出した。

「ただ、おしゃべりをするだけだから」

「ええ、分かりました」 


つづく
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