9月初頭
「こんなことをしていてもまったく無駄ですよ。僕たちはどうにもならない。この、カウンセリングとやらを、もう5週間続けてきているが、ずっと、堂々巡りをしているだけじゃないですか」
スティーブは、ヒューストン氏を見つめながら苦情を言った。彼は、できるだけバーバラには顔を向けないようにしていた。
「でも、言ったじゃない。私はチャドとは会うべきじゃなかったと、今は理解しているわ・・・たとえ、さようならを言うためだとしても。ええ、ええ、認めるわ! 私が悪うございました。でも、いまさら、元に戻って、変えるわけにはいかないの」
「君が、何のことを話してるのか、さっぱり分からんね。いつ、僕が君に強制したって言うんだい?」
「そう?・・・例えば・・・感謝祭の日、あなたは、あの人の家に行きたがっていたでしょう?」 バーバラは、憤然として言った。「あなたに強制されて私もついて行ったのよ。すでにお父さんとお母さんには、そっちの家に行くって約束してたのに。私は、電話して、お父さんたちに、他のところに行くことになったって言わなければならなかったのよ!」
「いや、それは違うね」 スティーブは反撃した。「覚えていないのかい? あの時、すでに3年連続で、君の母親の家で感謝祭を過ごしていたというのは了解しあったはずだ。違うかい? そこで、今回は違ったことをするのが良いと決めあったじゃないか・・・他の人とディナーを食べて、その後で君の実家に行って、少し過ごすとか」
バーバラは、記憶が不確かそうな顔でスティーブを見た。あやふやな記憶が頭の奥で徐々によみがえってくる。
「ええ、多分、そうかも・・・でも、その人の家に行ったら、あんなみすぼらしい家だったし・・・それにあの人の奥さんのおしゃべりなことと言ったら・・・」
「その『みすぼらしい家』だが、中も外も、きちんときれいに手入れがなされていたじゃないか。確かに、塗装をする必要はあったが、あの人たちにはそれをするお金がなかったんだよ。それがどうしたと言うんだ!」
スティーブは落ち着いた声になって続けた。
「あの人はグレッグというんだが、5年前、僕の命を救ってくれたんだ。2トンの巨大な梁を9階に持ち上げていた時に、押さえが緩んだ時があった。その時、助けてくれたんだよ。彼がいなかったら僕はパンケーキのようにぺっちゃんこになっていただろう。・・・グレッグには、本当に、僕の持ってるすべてを与えてもおかしくないんだ。だが彼は何一つ僕から受け取ってくれない」
バーバラはぽかんと口を開けたままスティーブを見つめた。この話は彼女には初耳だった。
「それに、そのおしゃべりな奥さんだが、彼女にも名前はある。タニアだ。西テキサスで、タニアとグレッグの2人とも十代の頃だった。彼女は、身動きできない状態だったグレッグを、15分間も、狂犬から守ったんだ。グレッグは岩場から落ち、頭を打って気絶していた。タニアは、グレッグが意識を戻し、狂犬をライフルで撃つまで、たった木の棒1本で、狂犬から彼を守り続けたんだよ」
スティーブは前屈みになり、バーバラの方に近づいた。
「あのおしゃべりな奥さんは、ご主人を尊敬している。2人は小学6年生のときからずっと寄り添いあっている。タニアには、君が僕にしたようなことは決してできないだろう。彼女なら、そんなことを考えただけで、死んでしまうかもしれない。僕自身、グレッグのことを思うと、決まって、ものすごく羨ましいと感じてしまうんだ」
スティーブは、姿勢を正して椅子に座りなおした。キッと口を引き締め、前を向いた。
バーバラはうんざりしたような声で言った。
「いいわ・・・あなたが正しいんでしょう、多分・・・。確かに、今、あの人たちの家に行くことに決めたのを思い出したわ。ちょうどその頃ね・・・ジミーが私に言い寄り始めたのは。あなたが私を遠ざけて、私の話しを聞かなくなったように感じたのよ」
スティーブは、驚いて、バーバラの方を見た。バーバラにしては、大きな譲歩をしたと彼は思った。
「で、サンダーバード男のラファエル・ポーターについては?」
スティーブは皮肉っぽく訊いた。バーバラは、その質問には答える準備ができていた。
「あの時、ずいぶん長く出張に出たでしょう。私一人を残して。あなたにそばにいて欲しかったのに、あなたはいなかった」 バーバラはかたくなになっていた。「そんな時、レイフはそばにいてくれたの。ある時、彼は、経理の上層部の一人と仕事があって、私たちのビルに来たの。そしてトイレのドアのところで泣いている私を見かけたの。こんなめちゃくちゃなことになるなんて知らなかったわ。・・・何かしようなんて思ってもいなかった・・・ただ、誰か話し相手が欲しかったの。そして、たまたま彼がそこに現れたというだけ」
スティーブはバーバラの眼を覗き込んだ。彼女は、スティーブとしっかり視線を合わせた。
スティーブは、無表情に答えた。
「僕はあの出張にはどうしても出かけなければならなかった。そのことについても話し合ったはず・・・僕はしょっちゅう出張に出ていたというわけではない。あの年、出張はあの時の1回だけだったじゃないか。君は、僕にそばにいて欲しかったって言うが、あの出張に出ていたすごく短い間にほかの男の元にいくなんて、よくもそんなことができたと思う。それに、あの出張の前も、僕たちは割りとうまくいっていたと思うのだが。君が何であんなことができたのか分からない」
バーバラは少し間を置いて答えた。
「たまたまそうなってしまったのよ。計画なんかしていなかったし、そうなることも望んでいなかった。偶然、ああなってしまったの」
スティーブはうんざりして眼を逸らした。
「バーバラ、たわごとはもう十分だよ。そんな嘘は、すぐに分かるんだ。この場では、君は僕の質問に正直に答えるべきなんだよ・・・誠実に答えるということは、僕たち二人とも同意したことじゃないか。忘れてしまったのかい?・・・すべてに誠実になること、そうすれば・・・」
「私、流産したのよ!」 突然、バーバラが叫んだ。スティーブもヒューストン氏も、びっくりして彼女を見つめた。
「え?・・・何のことを言ってるんだ?」
バーバラは落ち着いた口調で続けた。
「あなたが出張に出ている間・・・あなたが出て3日後、出血を起こして病院に入院したの。私自身、妊娠していたのを知らなかったわ・・・」
バーバラは絶望して両手を振った。
スティーブの心は、混乱していた。バーバラが流産した? もちろん彼も知らなかった。バーバラ自身も知らなかったと言っている。
「で、でも・・・そんなひどいことを抱えていたのに、誰にも伝えずに病院に行くなんて、どうして?・・・どのくらい入院したんだ?」
「1週間か・・・もっと」
「1週間以上も? だが・・・だけど、どうして僕に言わなかったんだ? どうして、電話してくれなかった? そうしてくれたら、どんなことを差し置いても、家に戻ったのに」
スティーブの声は、彼が心から心配していることを示していたし、混乱していることも示していた。
バーバラは落ち着いて答えた。
「私は誰にも話さなかったわ。お母さんにもお父さんにも・・・両親には、夜になって病院中が静かになってから電話した。退院して家に戻った後は、少し独りになる時間が欲しかったと言って、簡単に取り繕えたわ。ただゆっくりと眠りたかった。食事もできなかったし。8キロも痩せたわ・・・あなたも、帰ってきたとき、私がずいぶん痩せたって自分で言ったじゃない?」
「でも、どうして? どうして僕に隠していたんだ? どうして、そんな、僕たち二人にとって重要なことを僕に言わなかったんだ?」
バーバラは口を開いた・・・だが何も言わなかった。突然、その問いには答えようがないことに気づいたからだった。彼女自身、流産のことをどうして秘密にしていたか分からなかったのだった。
「分からないわ」 バーバラは無表情に答えた。「分からないの・・・」
急に何の前触れもなく、涙が眼に溢れ、頬を伝った。
「ああ・・・赤ちゃんが・・・赤ちゃんが死んでしまった・・・」 彼女は啜り泣きを始めた。
スティーブは反射的に体をバーバラの方に向けた。椅子から腰を上げ、彼女を抱き寄せようとすらしかかった。だが、ぎりぎりのところで、彼は思い出した。カウンセリングの間、これまで彼女が様々な言い訳を繰り返してきたことを。スティーブは改めて椅子に深々と座りなおした。こんなことでは、何も変わらない、と。
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「さて、先週、あなたの流産のことが話し合いに出て来たわけですが、奥さん・・・」
ヒューストン氏は落ち着いた声で始めた。前の週の話し合いは、流産の告白で終わってしまった。バーバラは、話しを続けることができなかったからである。
バーバラはカウンセラーに頷いて見せた。スティーブの眼には、こんなに落ち着いた様子のバーバラを見るのは、実に久しぶりに感じられた。彼女は、まっすぐにスティーブを見た。柔らかな口調で話しを始める。
「スティーブ・・・このことをあなたに隠していて、本当にごめんなさい。ヒューストンさんとは、個別のカウンセリングのときに、このことについて話し合っていたの。でも、今も、どうしてあなたに隠したのか、自分でも分からないの。恥ずかしさを感じたということしか言えない。妊娠のことを自分でも知らなかったという点で、自分の責任のように感じたんだと思うわ。どうしてそういう風に感じたのかは分からない。その痛みをどうしてあなたと分かち合うことができなかったのか、それも分からないわ。ともかく、そういうことができなかったの。いつの日か・・・その理由が分かった時には、それを話すつもりでいるけど、今は、私自身、理由が理解できていないの」
スティーブはバーバラを見た。バーバラは、眼を逸らさずにまっすぐ見た。スティーブは彼女がようやく真実を話していると感じた。肩をすくめて見せる。
「オーケー、話しを続けてくれ。今日は、いつになく、包み隠さず、正直に話しているようだから。なんなら別の秘密についても告白してくれても構わんよ」
「どんなことでも」
「では、ラファエル・ポーターとは何回セックスしたんだい?」
バーバラは眼を逸らした。
「彼とは一度もセックスしなかったわ」
「また嘘をついてる。それに、君は嘘を隠すのがあまり得意じゃないね」 スティーブはヒューストン氏の方に顔を向けた。
「僕には、今日は、今の答えだけで充分です」スティーブは冷静な声で言った。「妻が僕に真実を話す準備が出来るまでは、話し合いに何の意味もない」
スティーブは立ち上がり、向きを変え、無言のまま、ドアを出ていった。
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「何回なんだ?」 スティーブは回答を要求した。
前回から2週間経った今夜、バーバラはスティーブの質問を避けようとすることはしないと約束していた。それが、スティーブが二人揃ってのカウンセリングに戻る前提条件となっていた。もしバーバラが再び嘘をついたら、スティーブは即、部屋を出て行くつもりだった。もう、10月になろうとしている。なのに、何の進展もない。
バーバラは深く溜め息をついた。
「2回・・・」 彼女はそう言った後、素早く付け加えた。「でも、あなたが思うセックスとは違うわ」
スティーブはがっくりとして椅子に深々と座った。天井を見上げ、懇願するような表情になる。そして、突然、椅子から立ち上がり、ヒューストン氏のデスクの脇、窓の方へ歩いた。ベネチア風ブラインドの紐を強く引っ張り、ブラインドを最上位で上げた。窓の向こうの夜景を強い眼差しで見つめ、窓ガラスに頬を押しつけるようにして、できるだけ夜空の高いところを見ようとした。
その後、頭を振り、ヒューストン氏の真後ろの窓に急いで移動し、同じことを行った。ベルネ・ヒューストンは、職業柄プロ並みと言える無関心さを装いながら、スティーブの明らかに異常な行動を観察していた。もし、錯乱したスティーブが窓の一つから飛び降りようとした場合、自分は彼を引っ張って押し止めることができるだろうか? スティーブはかなり大きな男だ。
「うーん・・・僕には分からないよ、バーバラ」 スティーブがようやく口を開き、苦情を言った。それからヒューストン氏に向かって言った。「ひょっとすると、今夜も出てきてないようですね? どう思います?」 ヒューストン氏は微妙な咳払いをした。
「えーっと・・・何が今夜も出てきてないと? カーチスさん?」 ヒューストン氏は穏やかな声で聞き直した。
スティーブは答えた。「もちろん、マザー・シップですよ。妻は、明らかに、エイリアンに誘拐されたようです。そのエイリアンは、セックスのことをセックスとは考えていない生物なんですよ。でもバーバラが言ってることは、そういうことですよね? まあ、いずれ近々、彼女のエイリアンの仲間たちは彼女を連れに戻ってくるでしょうけど。・・・ともかく、今夜はマザー・シップが見えないので、多分、今夜ではないのでしょう」
そこまで言ってスティーブは腰を降ろした。彼は、この荒唐無稽な些細な夢物語を楽しんだようだった。
だが、ヒューストン氏はスティーブほどは楽しんでいなかった。もっとも、スティーブは、ブラインドを降ろしながら、降りきる前に窓ガラスに映ったヒューストン氏の顔にちょっと笑みが浮かんだのを見たと思っていたようだ。もう一つのブラインドは、ヒューストン氏が降ろし、その後、席についた。このスティーブの余興の間、バーバラは一言も喋らなかった。バーバラの反応といえば、居たたまれない恥ずかしさによる顔の火照りだけだった。彼女の隠したい気持ちとは裏腹に、首から耳にかけて火照りの赤みが広がっていた。
「話しを続けてもよろしいかしら?・・・」 バーバラはカウンセラーに向けて尋ね、ヒューストン氏は頷いた。
「もちろん!」 スティーブも口を挟んだ。
バーバラは、スティーブに気が散って困ると言わんばかりの顔をしてみせた。話しをするのが難しそうに見える。彼女は、話さなければならないことに意識を集中させ、スティーブのことを差し当たり脇役とみなし、あまり注意を払わないようにした。スティーブの皮肉や嘲笑も、この日のバーバラにはあまり効果がなかったようだった。
「私が言おうとしたことは、つまり、ポーター氏はただ・・・その・・・私に自慰を手伝わせたかっただけということです」
バーバラは低い声で言った。うつむいている。誰とも顔を合わせたくなかった。
「それに、私はズボンの上からしか、それをしなかったし・・・実際には、彼に触れたことは一度もない・・・それに彼も私の・・あの・・・あそことか胸とかに触れたこともなかった。そういうことは一切」
スティーブは、一言も言わなかった。ただ座ったまま、じっと妻のところを見ていた。バーバラはみるみる顔を赤らめ、一心不乱にヒューストン氏のデスクの上を見つめたままだった。
突然、スティーブは嘲るように鼻を鳴らした。
「それが真実? だとすると、君は、不倫を犯した女たちの中でも、この惑星上で一番哀れな存在に違いないし、ラファエルも、本当にそれ以上のことを君にできなかったとした、色男とは正反対の存在に違いないね! ・・・こそこそ色々隠れてやって、裏切りや嘘を繰り返したり、その他もろもろの偽りを行ったのに、ラファエルは、ちょっと手でやってもらうことしか得られなかった? 数々の情事の中でも歴史に残る、もっとも哀れな情事ってことになるだろうな!」
スティーブは吐き捨てるように言った。バーバラは彼に眼を合わそうとしなかった。
「ああ・・・もういいよ。僕は君を信じない! また今日も僕を騙そうとしている。嘘つき!」
バーバラはキッと顔を上げた。
「本当よ!」
バーバラは高ぶった声で応えた。スティーブの棘のある言葉に顔を真っ赤にしていた。だが、またも、視線をそらす。
スティーブは、バーバラが視線を逸らしたことを、言い逃れをしていることの印しと解釈した。頭を振って立ち上がる。
「彼女が真実を話す準備ができるまで、私は、さようなら、とさせていただきます」 彼はヒューストン氏を見ながら話した。「平気で人を騙す嘘つきといて時間を無駄にするより、もっとすべきことが私にはあるので」
スティーブはそう言って部屋から出て、ドアを静かに閉めた。
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「それで、お前は、あのポーターと愛撫し合っていたと、スティーブに認めてしまったのかい?」 リディアが訊いた。
「ええ」 バーバラは憮然としていた。「でも、彼は信じてくれないの。そんな関係は哀れだって言って」
リディアはくすくす笑った。すぐに、孫娘の気持ちを立てて笑うのをやめたが、心情的には、スティーブの意見に少なからず同意していた。
「まあ、でもね、とても興奮することではないのは確かだね」
リディアはそう言ってバーバラの顔を見た。バーバラが顔を赤らめるのを見る。
「お前は、こういう状態に慣れる必要があるんだよ。あの男と何をしたにせよ、それがどんなことであれ、すべきでなかったのは本当なんだから。お前が話したようなことでも、夫以外の男とする権利はなかったのだから」
「でも、ノニー? 実際、セックスしたわけじゃないのよ。そういうことは高校生のときにもしていたし、それに・・・」
バーバラは、話しを続けると、さらに自分を辱めることになると察知し、話しを途中で打ち切った。こういうことを祖母と話し合うことに慣れていなかった。リディアは、すこし冷笑を口元に浮かべたが、すぐにそれを押え込んだ。
「バーバラ?・・・こんな風に考えられないかねえ? もし、スティーブがすぐそこに座っていて・・・」 リディアは、目の前のカウチを指差した。「・・・そして、このポーターって男がお前の真ん前に立っていたとするよ。そんな状況で、お前はその男のあそこを愛撫したりするかい?・・・ズボンの上からとしても?」
リディアは、バーバラの顔がますます赤くなるのを、興味を持って観察した。
「もちろん、そんなことしなわ!」
リディアは頷いた。そして、ちょっとだけ様子を見た。孫娘の反応を期待しながら、観察する。だがバーバラは、かたくなな顔をしてリディアを見つめるだけだった。
「オーケー。それじゃあ、お前はレイフにお尻を触らせたり。。。手をスカートの中に入れさせたり・・・恋人同士がするようなキスをさせたりした? あの写真に写っていたようなことをさせた? 自分の夫の前で」
バーバラの顔は、心臓の鼓動が2回鳴る間に、暗い赤から、さらにくすんだ色へと変化した。固く目を閉じる。
「いいえ」
バーバラは小さな声で言った。リディアは、しばらく沈黙状態が続くのを放置した。この孫娘は、長い間、避け続けてきたことに、ようやく正面から向き合おうとしている。
「スティーブは、お前の振る舞いについてちっちゃい、みみっちい問題を感じているというが、お前もどうやら、その問題を分かりかけてきたんじゃないかい?・・・バービー? 自分の夫の前ではできないようなことなら、それは、やってはいけないことなんだよ」
バーバラは不愉快そうな表情を顔に出していた。うんざりしたような口調で話し始めた。
「ああ・・・多分、自分でも、ずっと分かっていたと思うわ。でも、ノニー? ノニーの言い方だと、なんか、とても・・・とても大ごとで、いやらしいことに聞えるわ」
「とても大ごとだし、いやらしいことだったんだよ」 リディアは毅然として言った。「バーバラ、わたしゃ、これまでもお前があれこれ、事を起こしたと聞いてはきたが、その中でも一番恥ずかしいことだと思っているんだよ。どうして、そんなことができたんだい? そんなことをして、どれだけスティーブが傷つくか、分からなかったのかい?」
「でも・・・でも、ノニー・・・あれは、何と言うか・・・スティーブとは関係のないことだったの。スティーブと私の関係のことは考えていなかったわ・・・」
バーバラは、そこまで言って、話を止めた。うまく言葉にできないフラストレーションから、顔を歪ませている。
「・・・どう言っていいか分からないけど・・・レイフと一緒にいると、別の世界にいるようだったの。全然、リアルじゃない世界。彼とおしゃべりをするとか、キスをするとか、・・・その、彼に触れるとか・・・そういうことは考えていなかったわ。結婚してるわけだし・・・」
「・・・なんて言うか・・・今は、良くないことだったと分かってるわよ・・・でも、レイフといる時は、どんな結果になってしまうかとか考えていなかったの。彼とのことはすべて、一時的なこと・・・それだけ・・・その場だけのことだったの・・・」
「ノニー、私もよく分からないの。どうして、私はあんな風になってしまったのかしら?」
バーバラの声は、心を痛めた子供の声のように聞えた。
「本当に、そのわけを知りたいのかい?」
バーバラは頷いた。眼に涙を浮べている。
「それなら、ヒューストンさんと話し合うこと。言いつくろったりしないこと。分かるね? 自分が思っていることを話して、ヒューストンさんの質問に全部答えること。自分を良く見せようとなんかしないでね。いいかい? お前にできることは、それだけなのは確かなんだよ。それをしなければ、誰もお前を助けることはできないんだから。いいね?」
バーバラは頷いた。リディアは、前のめりになり、大きな安楽椅子の端に腰を移動し、両腕を差し出して、孫娘を抱いた。
「大丈夫、バービー・・・大丈夫。何があっても、最後には、うまくいくから」
「でも、ノニー・・・スティーブは、もう私を愛していないと思うの」 バーバラは啜り泣きをしながら言った。「どうしてよいか分からないの」
バーバラはリディアの肩にすがりつき、しばらくの間、泣き続けた。リディアは、泣きやむまで彼女の肩を優しく叩き続けた。
「お前はスティーブを愛しているんだろう?」
リディアは、バーバラを抱きながら、彼女が頷く動きをしたのを感じた。
「でもね、スティーブはお前に愛されてるとは思っていないのだよ。分かるだろう? 彼は、自分を愛してるなら、どうして、お前がしたようなことができるのか、分からないんだよ」
バーバラは溜め息をついた。
「ええ・・・でも、私はずっと彼を愛しているわ・・・ずっと!・・・私はバカなことをしてしまったけど、スティーブを傷つけたいとは一度も思ったことないわ。どうして、彼を傷つけることになると思わなかったのか、自分でも分からない。・・・彼には知られることはないと思っていたと思う。とても混乱していて、どうしていいか分からないの」
バーバラは再び涙が込み上げてくるのを感じた。リディアは、孫娘の涙に、大事な点をはぐらかされないよう、注意した。
「でも、お前はまだスティーブを愛していて、彼と別れたくないんだろう?・・・いや、今すぐ答えることはないよ。1分くらい時間を取って、よく考えるんだね。お前の夫は、今は、お前のことを愛していない・・・ひょっとすると、もう二度とお前のことを愛することはないかもしれない。お前は、そういう事態と向き合う覚悟ができているのかい?」
バーバラはすぐには答えなかった。リディアの言う通り、時間を取って考えた。
「ノニー・・・」 バーバラは、ティッシュを眼に当てながら、落ち着いた声で話し始めた。「ノニー・・・私は愚か女で、自分でも間違っているとわかっていることをしてしまったわ・・・でも、本当の私は、そんなに愚かじゃないの・・・バカじゃない。スティーブの存在は、私の人生で私にもたらされたもののうち、一番素晴らしいものなの。それは分かっているわ。これまでもずっと分かっていた・・・それについて、しばらく、考えていなかったけど・・・でも、ずっと分かっていたと思う。もう一度、前のように、彼に愛してもらいたいの。彼を取り戻すためなら、どんなことでもするつもりなの」
「そんなことはありえないだろうよ」 リディアは冷たく言い放った。
「え?!」
「いいかい? お前は、今は、スティーブが結婚したときのお前とは同じ人間じゃないんだよ。スティーブは、結婚した時のお前を愛していた・・・でも、今のお前のことは愛していないんだよ。スティーブにとっては、今のお前が何者かすら分かっていないんだよ・・・」
「・・・お前は、スティーブとの夫婦関係から、純粋無垢な部分を取り去ってしまったんだよ。その代わり、夫婦関係を、何か薄汚くて、醜いものに変えてしまった。スティーブは、今は、怒り狂っている・・・彼の気持ちは、すぐに変ることはないだろうよ。お前は、そういう状況に立ち向かえるかい? スティーブがお前に投げつける、不愉快な態度、刺のある言葉、乱暴で嫌みな振る舞い。その全部を彼が捨て去るまで、お前は、それらを受け止め続けることができるかい? どうなんだい?」
バーバラは祖母が語った言葉を噛み締めた。リディアの問いに、挑発的なところを感じた。彼女は、心を固め、しっかりと頷いた。
「スティーブを取り戻したい。彼に戻ってきて欲しい。彼に、私こそが彼の女で、私はもう二度と間違ったことはしないということを分かってもらうため、どんなことでもするつもり」
バーバラは窓の外に眼をやり、通りで遊んでいる子供たちを見た。
「・・・でも、ノニー? どうしたらいいの? スティーブが私のことをもはや愛していないなら、何もできない」
リディアは、笑い出した。
「うふふ。どうしてわからないのかな? この世で一番単純なことだよ・・・もう一度、スティーブにお前に惚れなおしてもらうのさ。それが答え」
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月曜日:個別カウンセリング
「100%、完全に正直になること・・・それが鍵ですぞ!」 ヒューストン氏は強く念を押した。「その点は強調しすぎることはないと思っているのです、奥さん。仮にスティーブと和解するチャンスがあるとすれば、奥さんが正直に話していると分かってもらうことなのですよ。言い逃れやごまかしは一切なしで。恥ずかしいからとか、・・・悔やんでいることだからとか、そういう理由で包み隠すこともなしで。・・・よろしいですね!」
ヒューストン氏は、このクライアントに少々腹を立てていた。すでに9月も第3週になっている。この夫婦のカウンセリングに入ってから2ヶ月になっているのに、このカーティス夫人が、他の男性と性行為をしたのを認めたのは、ようやく先週になってからだった。カーティス夫人と個別カウンセリングをしたのは何回目になるだろう? このような告白は、2回目か3回目のカウンセリングで出てきて欲しいものだと彼は思っていた。
「正直に言って、奥さんは、この席でまともな話し合いができる状態になるのに、非常に時間が掛かりすぎているのですよ。ご主人は、多分、もう我慢の限界に来ているとお伝えしなければなりません。現状ですと、奥さんが、たとえ、昼は明るく夜は暗いと言っても、ご主人は奥さんのことを信じないと思いますよ」
「分かっています、ヒューストンさん・・・」 バーバラは静かな口調で始めた。「私は愚かでした。それは分かっています。どんな種類であれ、レイフと性行為をしたことを否定し続ければ、この問題は消えてなくなるだろうと期待していたんです。自分が行ったことをずっと恥じていて、それを隠そうとしたんです。でも祖母と話しをし、私もようやく分かったんです・・・私は、愚かで、自己中心的に振舞っていたと。あえて、そうしていたと。ヒューストンさんには、これまでのこと、お詫びいたします。それにスティーブにも、会った時に、謝ろうと思ってるんです」
ヒューストン氏は深々と椅子に座り、長時間じっとクライアントのことを見つめた。長い沈黙の後、彼は溜息をついた。今、このカーチス婦人が言ったことは正直な気持ちであるのは間違いなさそうだ。今日の彼女は、落ち着いているし、しっかりしている。眼に浮かぶ表情も冷静だし、人の顔をまっすぐに見て話している。これまでは、自分の行動に対する言い訳をさがしたり、質問をはぐらかそうとしてる時、両手をいじったり、曲げたりしていたが、今日は静かに膝の上に乗せたままにしている。ヒューストン氏は、ここからどんなことが引き出せるか試してみることにした。
「よろしい、奥さん。まずは警告しておくことにします。つまり、スティーブは、私に、あなたと話すときには、あなたをみっちり叩きのめすよう求めているということです。これから先、長期にわたって、奥さんは、スティーブがそう要求していることを考えることになるでしょう。奥さんは私を軽蔑するかもしれない。私が口を開くたびに、嫌な思いをすることになるでしょう。これまでは、ゆっくり優しく話しを進めるという方法を試してきました。しかし、それもおしまいということです・・・」
「・・・これからは、奥さんが問題や質問を脇にそらそうとしても、私は決してそれを許さないでしょう。これから、パンチを手加減することもしません。分かりましたか? 聞こえが良い言葉もなければ、デリケートな事情を美しい言葉で包み隠すこともありません。そのようなことをするには、もう、時期が遅すぎる」
バーバラは頷き、小さな声で答えた。「遅いのは分かります。でも、まだ遅すぎて手遅れにはなっていないよう願っています」
「それは、結果を見てみないと分かりませんね・・・」 ヒューストン氏は中立的な口調で答えた。
ヒューストン氏は話しを続けた。
「さて・・・ああ・・・カーティス夫人。私は、心理学者であれ、そうでない者であれ、これから私が言おうとすることについて反対する真っ当なカウンセラーはいないと思っています。ですが、あらかじめ奥さんに警告しておきますよ。これから言うことは、奥さんにとっては聞きたくないことになると思います。ですが、理解してもらわないと困る・・・ただ、聞くだけではダメです・・・ちゃんと理解し、納得してもらわないと困るのです・・・」
バーバラは頷いた。
「・・・オーケー、バーバラさん。私が奥さんに分かって欲しいことというのは、ご主人の見地からすると、奥さんがなさったことは、彼に対して行ったうちでも、最も破壊的で、自己中心的で、憎むべき行いだったということです。ご主人は、私に直接言ったわけではありませんが、奥さんが、何か清純で、明るいもの、何か俗にまみれていない素晴らしいものを奪い去り、泥で汚したように感じているのです。べっとりと汚れをつけてしまったと。ご主人が奥さんと出会った日から起きたことすべてを、茶番で嘘だらけのものにしてしまったと。ご主人は、自分自身が我慢ならない状態でしょう。奥さんのことも我慢できなければ、結婚自体も後悔している。すべての行動で頼りにできると信じていた、錨にあたる部分を失ってしまったと感じいているはずです・・・」
「・・・ご主人の見地からすると、奥さんは、しょっちゅう夫婦関係から逸脱を繰り返し、他の男性をチェックしてきたようになっている。他の男性とご主人を比較し、どっちが良き仲間であり、友達であり、パートナーであり、セックス相手であるかを確認してきていると。ご主人は、絶えず、この影の男たちと競争をされられているように感じているでしょう。だが、正直、ご主人は、そういう競争は奥さんと結婚した時にすべて終わっていると思っているのですよ・・・」
「・・・ご主人が、そういう風に考えるのは非常にもっともなことです。妻というものは、夫を絶え間ない競争と選択の試練に晒すべきではないのです。そのようなコンテストを行ったら、どの夫も常に敗北することになるでしょう。それは妻の立場でも同じです。夫が絶え間なく妻と他の女性を競争させていたら、どんな妻でも敗北してしまうものです。誰かと一緒に生活していれば、日々の生活で摩擦が生じるのは当然で、新しい恋人に対して抱くきらびやかな新鮮さに比べると、色あせたものに感じてしまうのは自明ですから・・・」
「・・・さらに悪いことに、ご主人は、間違った行いをしてきたことを理解していない。ご主人は、奥さんとの関係にかかわるすべてのことを性急に調べ上げ、自分の行いのうちで、奥さんを酷く傷つけ、その結果、奥さんが安らぎを求めて他の男性の元に行った原因は何かを探ってきた。だが、ご主人は、原因となった自分の行いが分かっていないのです。私が分かる範囲で言えば、スティーブさんは重要な点がどこにあるか察知できていない。そして、そのことが彼を苦しめているのです。ご主人は男性としての自分自身を疑い始めている。というのも、その点でしか、ご主人は、奥さんが離れてしまった理由として考えられなくなっているからと、私には思われるから・・・」
ヒューストン氏は、バーバラの顔に浮かんだ苦悩の表情から眼をそむけた。彼はスティーブが感じていることを分かっているように語ったが、これは、ヒューストン氏自身が20年前に経験したことに基づいていた。そして彼はバーバラが感じていることも分かっていた。人々を観察し、顔の表情や体の動かし方から、その人の感情を解釈するのは、彼の仕事なのである。ヒューストン氏は、バーバラが、自分の不貞によって夫にどれだけ影響を与えてしまったかを悟り、大きな心の痛みを感じていることを見て取ることができた。
「ヒューストンさん?・・・」 バーバラは、臆病そうに尋ねた。
「はい?」
「取っ掛かりのための良い方法と言うと、スティーブに、実際、私がレイフ・ポーターと何かをしたのは2回だけだったと証明することなのでしょうか? そうすれば、スティーブはもうちょっとだけ落ち着いてくれるのでしょうか・・・新たにやり直す取っ掛かりとなるような落ち着きを・・・そうすれば、彼は取り戻してくれるのでしょうか?」
「・・・多分・・・恐らく・・・でも、奥さん。ご主人は、分厚い聖書の中からたった2つだけエピソードを出して、それについて誓約しろと言われても納得しないでしょう。奥さんが、そういうことを考えているとしての話しですが・・・」
「いいえ、そういうことじゃないんです。でも、もし、私が嘘発見器テストを受けると言ったら、信じてくれるんじゃないかと思って。そのテストの準備をしていただけるならと思って・・・私にはできないので」
カウンセラーは、バーバラが言ったことを考えた。唇をすぼめている。やってみても、まずくはなさそうだ。ヒューストン氏は、名刺のファイルを調べ、受話器を取り、素早くダイヤルを押した。相手が出たらしい。
「マイルズ?・・・ベルンだよ。調子はどう? ちょっと話しがあるんだが。助けて欲しいことがあってね・・・」
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水曜日:個別カウンセリング
「ご主人は、悲嘆の5段階(参考)というのをご存知ですか?」
「ええ、とても大雑把にですが、知ってると思います。1つか2つ、記事を読んだことがあります。でも詳しいことは知りません」
「そうですか、ちょっと簡単に説明させてください。その5段階とは、まずは『否認』段階。その段階では、親しい人を亡くす経験をした人は、『違う、これは自分のことではない・・・こんなことが自分に起こるはずがない』と言うのです。次が・・・『怒り』。残された人は、どうして? どうして自分なんだ? と問う。・・・」
「・・・その後に来るのが『取引』段階。その段階では悲嘆にくれた人は、神に、もし愛した人を生き返らせてくれたら、もっと善良な人間になると誓ったりします。その段階が過ぎると、『抑うつ』の段階が来る。悲しみに打ちひしがれた人は、愛した人はもう戻ってこないと認め、何もできなくなる。そして最後に、『受容』段階になります。自分の人生を進みだそうとする段階です」
「なるほど」 スティーブは平然としていた。
「そこでですが、愛する人を亡くすことと、愛する人を不倫で失うことの間に類似点があると思いませんか?」 ヒューストン氏の質問は直接的だった。
「まあ確かに」 スティーブは、意に介さぬ風に答えた。「きわめて当然ですね。僕のような素人にも分かりますよ」
ヒューストン氏は鼻を鳴らしながら答えた。「驚かれているんじゃないんですか? この5段階の話しを聞かされると、自分のこととは考えず、別の世界の人のことと考える人がいるのですが」
スティーブは、ほのかに笑みを見せた。
「それで、あなたは僕がどの段階にいると?」
「それを答えるのは私ではありませんよ。私たちはずっとこのことについて話し合ってきたのです。・・・もっとも以前は、ちょっと脱線気味でしたが。ご主人、あなたは今はどの段階にいるとお思いですか?」
スティーブは頭を振って、鼻をすすった。
「まあ、確かに怒ってはいますね。この上なく腹を立てているし、その状態はすぐに変わるわけでもなさそうだ。・・・でも、それと同時に、僕はすでに、自分の結婚は終わったという事実を受け入れているんです。ですから、怒りの段階であると同時に、最終段階の受容の段階にも来ていますよ・・・」
「・・・僕の望みは唯一つ、残りの人生をうまくやって行きたいということです。なのに、今は、このいつまでも終わらないカウンセリングを延々と続けて、そこで停滞している。すべてのことを、何度も何度も話し続けているだけ・・・」
スティーブはヒューストン氏を見た。ヒューストン氏はスティーブの目に絶望の色が浮かんでいるのを見た。スティーブは荒い調子で言葉を続けた。
「・・・否認の段階などとっくの昔に終わっています。バーバラが昔のボーイフレンドと会っているのを見た時に、すでに怒って、彼女を見捨てていたんだ、本当は。その時に、彼女を取り戻すべきじゃなかったんだ。というのも、その結果、僕は、さらにもう2回も陰鬱状態にさせられたのですから。取引もしましたよ。神とではなくバーバラとですが。今回だけでも彼女を許せば、彼女もより善良に変わって、2度と僕の信頼を裏切らないだろうと信じてね。その信頼は、2回とも裏切られましたよ・・・」
「・・・ヒューストンさん。僕の状態を言いましょうか? 僕は、時に怒りの段階にあり、ほとんど自殺したくなるほど、抑うつの段階にもあるし、いつも否認を続けている。そして同時に、不実で嘘つきの妻とは離婚しなければならないという運命を受容して、完全に納得もしているのです。取引に関しては、どんな理由であれ、妻とも、他の誰とでも、まったくする気はありません」
スティーブの話しを聞きながら、ヒューストン氏は次第に顔を不機嫌な表情に変えていった。浮気問題が起きた場合、裏切られた配偶者を説得し、夫婦関係を守るために、裏切ってしまったものの、それを後悔しているもう一方の配偶者と協力し合って、夫婦関係を守っていくようにさせるチャンスが、いかに小さいものであれ、存在するのが普通だ。ベルン・ヒューストンは、スティーブとバーバラが、すでに、関係修復のための重要な時期を過ぎてしまっているのではないかと不安に思った。良い展望が見られない。スティーブは守りの姿勢になり、かたくなに自分の立場を通し続け、気持ちを曲げる兆候を一切見せていない。
ヒューストン氏は、落胆し溜息をついた。最近、溜息をつくのが多くなっていると感じた。だが、何とか修復に向けて取り組んでいかなければならない。ヒューストン氏は、静かな口調で問いかけた。
「嘘の部分について取り組むのはどうでしょう?」
スティーブは肩をすくめた。
「取り組むって、何のために?・・・嘘をついているのは僕じゃないのですよ。カウンセリングを始めてから、僕はあなたにも、バーバラにも、真実でないことを話したことはありませんよ」
「ええ・・・つまり、もし、私がご主人に、奥さんが事実を語っているという、明白で否定できない証拠を提示できたら、どうでしょうということなんですが・・・先週、木曜日に奥さんが、2回しか、性的な・・・なんと言うか、性交渉がなかったと言った件についてです」
スティーブは、興味を示した。・・・少し疑っている顔ではあるが、ともかく興味を示した。
「どうやって?」
「奥さんは、この月曜日にここに来たとき、ポリグラフ・テストを用意して欲しいと、私に頼んだのです・・・」
「・・・私は州警察でもパートでカウンセラーをしてるんですが、州警察はFBIと一緒に仕事をすることがあるわけですよ。そしてFBIは、いくらでも、コンサルタントを抱えていて、その中には、この分野での専門家もいる・・・私の話しについてこれていたら分かると思いますが。ともかく、ちょっとコネを使いましてですね、知り合いの友達の友達を紹介してもらったのですよ。それで、その人が、いろいろ仕事を差し置いて、今朝、このオフィスに来てくれたのです・・・」
「・・・ご主人、検査の結果、奥さんの性関係に関しては、回数も・・・その・・・行為の種類に関しても、偽りはないと判明しました」
スティーブは1、2分、ヒューストン氏の言葉を考えていた。彼の顔からは、何を考えているのか分からなかった。
ようやく、スティーブが口を開いた。「ひょっとして、僕は騙されているのだろうか。バーバラが、あの間抜け男に、2回ほど手でして上げただけというのは、信じがたいです。ですが、本当に機械がそういう答えを出したと言うなら、受け入れることができると思う・・・」
「・・・でも、それで何かが変わるとお思いなら、それには同意しかねます」 スティーブは、少し間を置いて続けた。「そういうことがたった一回だったとしても・・・あるいは、何らセックスにかかわることがなかったとしても・・・バーバラが他の男と会い、僕をないがしろにして、楽しんだという点は依然として変わらない事実なのですよ。それに、程度の違いがあれ、今回は3回目だったということを思い出して欲しいものです。過去に2回、同様のことがあった・・・過去の2回に関しても、バーバラを許した僕は正しかったと言いそうな人間は、100万人探しても一人もいないでしょう。だが僕は、そんな愚かなことをしてしまった。僕は3度目の過ちはしたくないのです」
「奥さんは真実を言っていた・・・私も、ようやくその点は認めました。そして、奥さんは、月曜に、これからは真実を話し、何も隠そうとしないと約束してくれたのですよ」
スティーブは、口をきっと結んだ。「バーバラが、あなたにでなく、僕に真実を話すと約束してくれてたら、ずっと良かったと思いませんか?」
「いや、奥さんは、先週の木曜日に、ちゃんと真実を話したのだと思いますよ。ちょっと・・・何と言うか、その確証を必要としただけなのではないですか?」
スティーブは、まあ、そうかも、と言わんばかりに肩をすくめて見せた。
「これは取っ掛かりなのですよ、ご主人・・・」 ヒューストン氏は、声に懇願するような色合いが出ないよう、注意しながら言った。懇願している調子で言ったなら、スティーブは、そこに突っ込みを入れ、否定的に反応してしまうだろう。そんなことになったら、もはや希望はなくなる。
「・・・ご主人と奥さんは、これまでの関係で、非常に痛々しく、非常にダメージが大きい出来事を3回経験してきた。それに対処しなければならないのは事実。ですが、その3回の出来事を除くと、デートの時期に和解した後、及び、結婚仕立ての頃には、かなり長い時間、お2人の仲が良かった時期があったことになるでしょう?」
スティーブは頷いた。
「ご主人、そのような楽しかった時期を、本当に忘れたいと思っているのですか? あなたと奥さんが、よりを戻す方法を見つけられるかもしれないチャンスが、いかにわずかなものであれ、存在するというのに?」
スティーブは、悪意に満ちた目でヒューストン氏を見つめた。
「ヒューストンさん、ということは、僕と取引しようとしているのですね? これまで起きたことをすべて否定してくれと僕に頼んでいるのですね? 怒りを脇において、この結婚がこんな風になってしまったことに対し、僕がいかに失意を感じていても、それを無視しろと言ってるのですね? ・・・僕に、感情をすべて抑制するのをやめる理由が充分にあるとお思いなのですね? 感情をあらわにすれば、妻が、これまでのくだらない出来事の数々にふさわしい女だったと判明するかもしれないと。わずかであれ、そんな可能性があるから、それを受け入れろと?」
ヒューストン氏は心の中で、スティーブが言ったことを反芻した。
「そう、そういうこと。・・・今の言葉、どこかでリハーサルなさっていたのですか?」 「いいえ。・・・この2年ほど、僕は、自分の上司は言うに及ばず、市役所や州政府の、驚くほど高い身分の連中に口頭で報告しなければならないことが何度もあったのです。機転を利かせて、事態を先に進める方法が、自然と身についてしまっているのですよ・・・」
そこまで言ってスティーブは間を置いた。「いいでしょう」
「え、何と?」
「僕は、毎週水曜日の午後、個別カウンセリングとやらを受けに、渋滞の街中をわざわざやってくることに慣れてしまったようですし、毎週木曜の夜に、妻が新しい作り話を繰り出すのを聞きに来るのにも慣れてしまったようです。・・・ええ、もうちょっとだけ付き合いますよ・・・でも、です・・・でも、そのうち、新しい仕事で頭がいっぱいになって、こんな解決には何の役にも立たないことを続けるのは止める日が来ると思いますよ。僕の言ってる意味、お分かりですよね、ヒューストンさん?」
「完璧に、分かります。ですが、続ける気があるのでしたら、まだ希望はある。ただし、続けるのでしたら、是非とも、カウンセリングに参加する気持ちで来て欲しい。もし、その気がないのだったら、こちらにいらっしゃらなくても構いません」
ヒューストン氏は、そこまで言って、スティーブの反応を観察した。「お互い理解しあえたと考えてよろしいでしょうか?」
「ええ、そう思います。分かりました」
スティーブはそう答えた。
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木曜日:合同カウンセリング
「スティーブ。あなたに謝りたいの・・・心から謝ります。私は、長い間、あなたを傷つけたし、裏切ったし、騙し続けてきました。私は、あなたに対して、あんなことをして、これからずっと、申し訳ないと思い続けるでしょう。あなたは、今すぐには、私の謝罪を受け入れることができないと思っているわ。あなたの心をあまりにも遠ざけ過ぎてしまった。それは分かっているつもりです・・・」
「・・・私は、自分が、あなたや私たちの夫婦関係に対して行ってきたことを理解せずに、これからも手を組み合ってやっていきましょうと言い続けて来ました。その点に関しても、済まないと思っています。私の愚かな頭で考えて、結果、こんな大変なことになってしまった。もはや、わがままな幼い女子高生気分でいてはいけないことが分かったの。自分のやりたいことだけを押し進め、自分の望みや要求だけを通すために、他の人には、その人の望みや要求を取り下げさせることを期待する。そんなことが、いつも可能なわけではないと分かったの」
カウンセリングが始まってから、30分近く経っていた。その時間の大半、スティーブはバーバラに矢継ぎ早に質問を浴びせ続けた。彼は、バーバラが、質問全部に対応し、大半の質問に躊躇わずに答えたことに、非常に驚いた。
バーバラは、思い出せないこともあったが、その場合は思い出せないと答えた。彼女は、個々の出来事についてすべて覚えておくように、日記やメモのようなものを残しているわけではないことを、あらためてスティーブに伝えた。それに、これほど時間が経過してからも思い出せるような強い印象を彼女に残さなかった出来事もあった。スティーブは、その説明を受け入れたが、できるだけ思い出すように努め、後からでも彼に話すよう要求した。バーバラは、不明だった件をメモに書きとめ、思い出したら話すことにすると約束した。
この日、初めてバーバラは、レイフ・ポーターと一緒にいるところをスティーブに発見された日のことについて、すべてを語った。公園に行く車の中で、バーバラ自らブラジャーを外したらしい。ブラウスのボタンを1つ外すだけで、それができたらしい。彼女がそれができることは、スティーブ自身、何度も見たことがあるはずと言った。どうやってするかは、たいした謎ではないはずと。ブラを外した、時と場所、そして誰と一緒の時だったか、それが悪いことだったのは分かっていると彼女は言った。あの日の午後、レイフ・ポーターとセックスをするつもりはなかったけれど、もし、そういうことをする局面になったら、してもよいと思っていたのは確かだった、と彼女は告白した。
「・・・私、興奮していたの。ブラを外し、その後、公園という言わば公共の場で、下着も脱いで、セクシーで淫らな気分になっていた。そういう気持ちが、一緒にいるべきではない夫以外の男性と一緒にいるという状況にスパイスを加えていた。レイフが求めてきたら、多分、私は、その時に身を任せ、彼の求めに屈していたと思うわ・・・」
「・・・でも、レイフは、あなたがサンダーバードの後ろに車をぶつけ、水の中に押してきた時、まだ、そういう動きに出ていなかったの。彼は、ズボンのチャックを降ろして、自分であれを擦っていたわ。でも、私に触って欲しいとは言っていなかった・・・」
「・・・私たちの密会を邪魔したのがあなただと知った時、最初は、怒りを感じたし、その後、すごく怖くなった。顔に水をぶっ掛けられた感じだった。比ゆ的にもそうだったし、実際、文字通り、そうなったんだけど。汚い泥水まみれになった自分の姿を見て、その瞬間、これまでの自分の世界を自分の手で滅茶苦茶にしてしまったと悟ったの。どうやって元に直したらよいか分からないまま・・・」
「かきまぜた卵をどうやって元に戻すんだ?」 スティーブが口を挟んだ。
「それはできないわ。できることは、パックに残っている他の卵が全部割れないですむ道を探すだけ」
バーバラの率直な返答に、スティーブは、しばし口ごもった。
バーバラは、どうしてポーターと付き合うようになったか、その理由についてはよく分からないと言った。流産の後、気が落ち込み、孤独感を感じていたと言う。秘密を打ち明けることができる人がそばにいなかったので、孤独で傷心していたと。・・・だが、どうして、そんなに孤独感に悩まされたのかは、よく分からないと言った。
「・・・その答えを見つけようと、セラピーのカウンセリングを受けたこともあったの。カウンセリングで分かったことがあったら、あなたに打ち明けようと・・・」
「・・・どうして、他の男性が近づくのを許したのか・・・どうして、彼との交際が。ますます不適切になっていくのを許したのか、それを自分の中で正当化したのか・・・なぜ、自分の価値観を曲げて、自分に対する言い訳を取り繕うようになってしまったのか・・・そういう問題については、まだ答えがわかっていないわ。でも、真正面から取り組めるようになったら、そういう問題もあなたに打ち明けようと思っていた・・・」
「今、確かに分かっていることがあって、それは、流産した後、自分の女らしさが大きく減ってしまったように感じたこと。体重も減って、女っぽい魅力が欠け、男性から求められない存在になったように感じていたの。そんな時、レイフは何度もお世辞を言ってくれた。私の話しをいつでもよく聞いてくれたし。そして、数ヶ月の期間のうちに、いろいろなことが連鎖していったの・・・」
「僕が話しを聞こうとしなかったって?」 スティーブが口を挟んだ。「僕が君のことを美しいと言わなかった? 愛していると言わなかった?」
バーバラは大きく深呼吸した。
「スティーブ、そんな風に感じるなんて、私はとても狭量なのよ。分かっている。実際は、そうではないのに。でも、そう感じたのは事実だったの・・・ちゃんと考えていなかったけど・・・しっかり理由を挙げて考えていなかったのは、ほとんど確かだわ・・・でも、私は、あなたは私の夫なのだから、私のそういう気持ちを分かってくれるべきだと感じていたの」
「ふーん? 理屈が通らないよ」 スティーブは、言い返した。
「理屈が通らない話しだと言ったはずよ」 バーバラは冷静に答えた。「それは分かっているの。・・・でも、あの時、あの場所では、私はちゃんと考えなかった。そのまま、レイフが言い寄るのを受け入れてしまったの」
「自分にお世辞を言ってくれる男がいたから、その男が優しくおしゃべりをしてくれたから、だから不倫を犯したと、そう言ってるのかい? そんなバカな」
「いや、ご主人。不倫をする女性の30パーセントから40パーセントは、自分の心の理由から、そうするのです」 ヒューストン氏が素早く口を挟んだ。彼は、場が険悪になるのを鎮めたかった。
スティーブは、ムッとした顔でヒューストン氏を見た。確かに、専門家が言うのだから、受け入れてやろうとは思うが、女性が浮気をする言い訳として、こんな話は馬鹿げてるとしか思えない。
「ご主人? 男性と女性は、異なった理由で、行動をするものなんです。男性としてのあなたや私にとって『理屈が通る』と思えることが、女性にとって、いつも同じことを意味するとは限らないものです・・・」
ヒューストン氏は優しい口調で続けた。「・・・ご主人が、例えば、身体的に具合が悪いなどといった問題を抱えて、落ち込んでいるとします。そういうときに、ご主人が、浮気をするため他の女性を求めることは多分ないでしょう・・・でも女性の場合、そういうことをする可能性がかなり高いのです」
スティーブは、不満感から、唇をキッと結んだ。彼は理由が欲しかった。自分の妻が浮気をした理由として、突っ込みを入れ、しっかり検討できるような何かが欲しかった。それがはっきりすれば、修復できるかもしれない。だが、これでは、あまりにも実体がなさ過ぎる。
バーバラが、困ったような声で話し始めた。「スティーブ? 私がどれだけ申し訳なく思っているか、それを伝える言葉が、私には見つからないの。あなたを酷く傷つけたのは分かっているわ。間違ったことをしてしまった。自分のしたことがあまりにも恥ずかしく、自分でも耐え切れないほど。あなたの気持ちも分かるつもり。あなたに何とかして償いをしたくて・・・それで・・・」
「嘘だ!」 スティーブが言葉をさえぎった。「僕がどう感じているか、何も分かっていない。分かるはずがない!」
スティーブは椅子の背もたれに背中を預けた。頭を後ろに傾け、じっと天井を見つめた。 彼は、特に感情がこもっていない声で語り始めた。
「君に会う前だった。僕の隣に若い女性が住んでいた。彼女は、ある夜、働いていたバーから帰る途中、何者かにレイプされた。当時、僕は足首を骨折していたので、普段ならありえないことだったが、その女性と一緒になることが多かった・・・」
「・・・デビーというその女性は、レイプによる身体的苦痛はとても酷いと語っていた。その男が暴力的に挿入したことにより、外陰部やバギナ内部の痛みはなかなか消えないと。だが、それより酷いのは、自分のプライバシーの最深部が犯されたという感情だと言っていた。レイプ犯はデビーから自己の意識・・・それが何であれ、彼女に強さ、自信、そして、自分はこの世で他にいない価値ある存在だと思わせる気持ち・・・その自己の意識を奪ってしまったのだと。男は、彼女から、人間として生きていくための何か特別なものを奪い去ってしまったのだと言っていた・・・」
「・・・僕は、彼女に、理解できると話した。彼女の言った言葉を理解したので、そう言った・・・でも、実際には、僕は理解などしていなかった。いまだに、僕は、自分が彼女の痛みをほとんど分かっていなかったと思う。彼女は、僕が本当のところは理解していないことを分かっていたが、それでも、僕が心を痛めているのを見て、慰めとして僕の言葉を受け入れてくれたと思う・・・」
スティーブは、しばし沈黙した。
「・・・理解などしていなかったんだ。理解できるはずもない・・・だけど、バーバラ、今は、僕も少しは手がかりのようなものを得たと思っているよ。今の僕の気持ちは、彼女が感じていた気持ちと似ているに違いないと・・・」 彼は肩をすぼめた。
「・・・いや、考え直してみると、それも違うかもしれない。彼女と僕の経験は、根本的なところで違いがあるから。そこは認識している。でも、僕は、前とは違って、彼女が僕に言ったことを、ずっとよく理解していると思っている。ずいぶん長い間、考える時間があったからね。今は、彼女の喪失感を前よりずっと理解できる・・・」
「・・・別の言い方をしよう。僕はデビーなら、今の僕の気持ちを理解できるだろうと思っている。彼女なら、自分の全世界がひっくり返ることがどういうことか、はっきり分かると思うから・・・」
「・・・僕は、自分の核の部分・・・僕のすべて・・・それが僕から剥ぎ取られ、ずたずたにされ、ごみのように放り捨てられた気分だ。また元のように自分自身のすべてを取り戻せるか、分からない。腹の中から湧き上がる恐ろしい痛みや、胸を覆う氷のような冷たさは、いつまでも消えないだろう。・・・痛むんだ。酷い痛みだ。僕はその痛みを、ずっと身近に感じていかなければならないんだよ、バーバラ。僕は、それしか感じられない。それ以外では、自分は死んだような感覚しかない。バーバラ・・・死んだような感覚、それだけだ」
スティーブは立ち上がり、ドアに向かってゆっくりと歩いた。途中、振り返り、バーバラとカウンセラーを見た。
「バーバラ、君には、僕がどう感じているか、全然分からないだろう。でも、いつの日か、分かるようになるかもしれない。いつか、君が僕にしたようなことを、誰かが君にするかもしれない・・・その時、君も僕の気持ちが分かるのじゃないかな」
スティーブは振り返り、ドアを出て行った。彼は、実年齢より50は老けた男のように見えた。